20代の10年間はバンド中心に回ってた
さて、このブログで「バンド歴史」というタグで、僕が初めて参加したバンド「エンゼルアワー」から「プラネットシティ」「遊星都市」と振り返ってみたのですが、この20代のバンド体験は、無駄な趣味のようで実は、その後の人生の「モノつくり」に大きな影響を与えてくれたんじゃないかと思います。
それは、エンゼルアワーというスタート地点から「演奏曲はオリジナル」であったということです。今でも周囲に「昔バンドしてました」とか「おっさんになってもバンドやってますよ」なんて知人がけっこういます。普通は高校時代にキャロルとかディープパープルとか、プロのバンドの曲を一生懸命に練習して、ステージに立つ。という経験がほとんどだと思うのですが、僕にはそれが完全に欠落しています。
最初からオリジナルだったので、自分が弾きやすいように弾く…というスタンス。まあそれだと楽器が上達しないと言われそうですが、その通りであります(爆)。僕はそういう意味で「楽器を上手に演奏できないミュージシャン」です。実際に僕は楽器を「上手に」演奏することをゴールにしていないからです。楽器は表現の手段で「そこそこ」弾ければよい。それよりも「楽しく」演奏したいと思っていますし、楽しく演奏するために「創意工夫」すればよいと思っています。
その「創意工夫」は、楽器を演奏することだけじゃなく、ライブにお客さんが来てもらう方法を考えたり、そのためにロゴやフライヤーやステッカーをデザインしたり…というクリエイティブな部分への興味も、バンド体験があったからで、その経験が、僕を「デザイナー」という仕事でメシが食えるようになったのかもしれません。
ライブを楽しくするには練習しかない
僕のバンド活動の内容は、大きく分けてふたつ。そのひとつが「ライブを行うこと」です。ライブが楽しいのは、メンバー全員が「ジャーン!」とひとつの音を出すこと。塊としての音圧を自分たち自身でコントロールできる快感です。
シンコペーションやブレイクや、カットアウトが「びしっ!」と決まった時の快感は演奏している人間だけが味わえる快楽ですよね。さらにひとつの楽曲の中で、メンバー同士の音を介したコミュニケーションを味わえること。本番のステージでいつもと違うフレーズのオブリガードを演奏すると、それに応じてアドリブが入る。その都度「ニヤリ」と笑ったりする気持ち良さ。
でも、それを体験するには、楽曲を何十回、何百回と練習して、細かい部分のアレンジまで全員が頭の中に叩き込んでなければ、そのアドリブはできないし。練習不足のアドリブは、単に「間違えた」演奏になってしまいますから。
そういう意味で、僕たちが大学生でバンドを体験したのはすごくよかった。なぜならみんなが大学の近所のアパートや寮に住んでいて、いつでもミーティングができたし、学校でも毎日顔を合わせるし、週に1〜2回は必ずスタジオで練習していた。それも4時間とか6時間とかね。
こういうバンド中心の生活は、日中仕事をしている社会人にはできませんよね。しかも、社会人になると家庭をもったり、仕事が忙しくなったりして、なかなかプライベートな時間も作れずに、練習回数も練習日数も足りない。そうなると、本当の意味での「ライブで演奏することの楽しさ」から遠ざかってしまう。
僕が大学を卒業してからのバンド活動が厳しかったのは、そのあたりでした。
バンドというよりも音楽を作る楽しさ
そして、僕のバンド活動の内容としては、もうひとつ「音楽を作ること」がありました。「バンド歴史:プラネットシティ」にも書きましたけど、大学時代のエンゼルアワーというバンドは、バンドを作った谷君の曲が8割。やはり自分で作詞作曲した曲をバンドでやりたいと考えるのは当然です。
そこでプラネットシティ時代に使っていたのが、4トラックカセットテープレコーダーという多重録音の機材。作詞作曲した曲を、コツコツと完成させる楽しみは特別なものがあります。
また「録音する」という行為も「創意工夫」そのもの。例えばドラムマシーンを安物のアンプにつなぎ、それを風呂場(ユニットバス)で鳴らして、それをマイクで録音したり、ストラトキャスターの背面のスプリングを金槌で叩いたり、子供用のオモチャのピアノを弾いたりとか…、その場での思いつきをテープに録音してそれをつなぎ合わせていく。そんな偶然に出来上がるサウンドも、音楽作りをする楽しみのひとつです。
さらに「遊星都市」になってからは、ローランドのMC-500というコンピュータを使って、楽器をMIDIでコントロールして曲を仕上げていきました。
4トラックを駆使しても、やはり録音には限界があります。その点、コンピュータを使うと入力できる音源は無尽蔵。ここで好きなだけメロディを入力し、それを2トラックずつミックスダウン。そんなクリエイティブな日々を送ってました。
さらにコンピュータに入力すれば、そのままライブでもシンセ音源に繋げれば、リアルなライブを行うことも可能。無論、ドラムがいない迫力不足はありますけど、自分たちでプログラミングした楽曲なので、それにステージでは生楽器を加えてのライブはとても緊張感もあり楽しかったです。
バンド活動の終焉
こんな風にコンピュータを使えば、延々とバンド…というか音楽制作活動を続けられそうですが、やはり終焉を迎えることになります。その理由は僕が結婚して家庭をもったこと。1日のうち、仕事以外は家庭のために使う時間(特に子供との関わり)が優先して、自分自身の趣味に使う時間が極端に減ります。
でも、その当時はそれでよいと思っていました。およそ10年間続いた僕のバンド活動もここで凍結。以降25年ほど、音楽生活とはほど遠い人生を過ごしていました。
しかし、今から6年前(2013年)、再び音楽作りを再開したいと思う出来事が起こります。