高校は男子校でした

中学三年生の三学期に転向

前にも書きましたけど、中学三年生でガールフレンドが居た充実した中学生活を送っていた僕は、父親の転勤で中学三年生の正月休みに引っ越し、新しい中学校は、兵庫県の西宮市でした。

そして中学校三年生の三学期といえば、高校受験。中三になって彼女ができたせいで浮かれていたのか、全く勉強をしなかったので成績は「下の上」程度の、とほほ状態。転校先の担任も「この成績では行ける学校を探すしかないね」ということで、近所の公立高校は受験するのも無駄であろう。ならば推薦入学という手段で、普通の受験よりも早く試験を受けると、入学の可能性が高まる…ということで、有無を言わさず推薦入学で受験をしました。

受けた学校は「大阪学院大学高等学校」という高校。学校名に大阪学院大学という名前が付いていますが、「付属高校」ではなく、まあ優先的に上の大学を受験できるというメリットがあるという高校でした。

もちろん、僕が受験するくらいなので偏差値はかなり底辺で、しかも授業料が大阪で1、2を争うくらいに高額な高校。まじで両親には迷惑をかけたと思ってます。

バカなボンボンばかりが集まる高校

おそらく授業料が高いのは「大学に優先的に入学できる」というメリットを感じた親が、多かったのでしょう。特に僕が受験した「Aコース」というのは、卒業後に「経済学部」を受験するためのコースなので、商業科ほどではありませんでしたが「簿記」と「商業」という授業がありました。

そういう意味で、店舗の息子や中小企業の経営者の息子…みたいな「金持ち」が多い学校でバカなボンボンばかりで、バカボン高校とか呼ばれていたこともあるようです。とほほ。

そしてガールフレンドが居た中学時代から、たった3ヶ月で僕は「男子校」という男ばかりの暗黒の学校で3年間を過ごすことになるのです。

男子校はそれはそれで楽しかった

女子が居ないことも、僕にとっては暗黒時代の大きな要因でしたが(ちなみに現在は男女共学になって、偏差値も上がってきたようで喜ばしいことです)、何よりも大きかったのは、中学三年の三学期に引っ越してきたので、地元の友達がゼロだったことです。

うちの高校は、北は高槻・茨城あたり、西は兵庫の西宮・芦屋、大阪府下は、市内はもちろん八尾や、岸和田、堺の方からも通ってきてて、みんな地元から遠いので、学校の中では「仲良くやろう」的な雰囲気があったのは、楽しかったです。

もちろんできの悪い男子ばかりくるので、ヤンキー系も多かったのですが、この学校に入ると「女が見ていない世界で突っ張っても意味がない」と悟ったのか、どんどんヤンキーがおしゃれなサーファーになっていくのが面白かった。そして共通の悩みは「彼女が欲しい」なので、みんなどんどんサーファーになり、着る洋服に金を使う。金持ちのバカ息子ばかりなので、学校では洋服自慢…みたいな、そんなすちゃらかな雰囲気があって、僕は結構気に入っていました。

なので、高校時代からLeeのジーンズに、ウエスタンベルト、Kennington(ケニントン)の花柄シャツに、コンバースのワンスターというような格好でした(1975年当時)。おかんに金をもらってコンバースのスニーカーを買ってきたら「なんで運動靴に2万円もかかるの?」と怒られたり(笑)

そんなわけで、たまに2年や3年になっても、ヤンキーのままのやつが学校の中で突っ張っているのを見かねた、髪の毛サラサラのサーファーが、昔を思い出して、ボコボコにしばき回している光景があったりとかは、うちの高校特有だったのかも知れません。

インドアな高校生活だったなぁ

そんなわけで、学校が終わって地元に帰っても遊ぶ友達がいないので、本を読んだり、レコードを聴いたり、漫画を書いたり、ギターを弾いたりというインドアな高校生活な僕でした。でもそれはそれで充実していました。そして週末には映画館に足を運ぶという高校時代。

もともとは、高校入学前の春休みに「燃えよドラゴン」を観て、感激し、そこから片っ端から映画を観まくるという3年間。当時は「二番館」と云って封切りから、少し経った映画を3本立てでかけてくれる映画館がたくさんあり、毎週、色々な映画館をハシゴして、毎月10本近くの映画を観ていたのです。年間で100本近く、3年間で300本。すごいでしょ。

それ以外では、雑誌で知り合った漫画サークルなるものに参加したり、そこでミニコミを作ってみたりと、明らかに中学時代とは異なるフィールドができてきたのもこの頃です。

三重県の漫画同人サークルのスケッチ旅行にて↑

とはいえ、高校三年間の間に、卒業してからどうする…と云うことは全く考えておらず、ただぼんやりと上の大学(大阪学院大学)に行くのはいやだなあ…と思ってました。上の大学もどちらかというと、男ばかりの大学ですし、居心地はいいけど、なんだかヌルい雰囲気に飽きてきていたのです。

そこで(ここでも書きましたが)中学・高校とずっと文通していた親友、谷健児くんが「俺は大阪芸大に行くからおまえも来いよ」と誘われて受験しました。残念ながらというか、当然のことですが、高校時代に美術のトレーニング(デッサンとか)は行っていなかったので、受験は失敗して一浪することになるのですけどね。

でもまあ、思い返せば、なかなか捨てたもんじゃない青春だったような気もします。


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