エンゼルアワー解散

新しくベーシストにゴンゾが加入

前回のブログ記事で、僕がベースを弾きながら歌うのは無理なので、新たにベーシストをメンバーに入れたい。というアイデアで全員の頭に浮かんだのが「ゴンゾ」でした。ゴンゾは大阪芸術大学の音楽工学学科の4年生。これまでなんどもエンゼルアワーのライブを観てくれていましたし、うーさんと一緒にライブハウスでセッティングも手伝ってくれたりと、エンゼルアワーには精通している友達だったからです。

彼に声をかけると「えーよ、だいたい何でも弾けるし」と二つ返事で了承。実際に練習でスタジオに入ると、何の障害もなく演奏に参加。というか、もともと彼はビートルズが好きなハードロックギタリストなので、おそらく弦楽器のテクニックは、バンド内で一番だったと思います。

ゴンゾはギタリストなのでベースは所有していなかったので、僕の持っていたフェンダーミュージックマスターを使ってもらいました。ギタリストの彼にはショートスケールなのも弾きやすかったのかも知れませんね。

ゴンゾが加入してすぐ、音楽工学学科の先輩の別荘で、バンド合宿で一気にバンドの品質アップ(笑)。朝から寝るまでずっとバンド練習するのは、素晴らしいことです。

そうそう、この頃になるとキーボードの数も増えていて、一番ライブサウンドに影響与えたのがヤマハのCP-30というエレクトリックピアノ。サウンドに深みが加わるのはよいのですが、とにかく「重い!」。バハマみたいに階段を降りて機材を運ばなければならないライブハウスでは地獄の苦しみ(笑)。

あとポリフォニックキーボードのローランド「プロマース」、そして4音シンセの「ジュピター4」をライブの時に知り合いのバンドから借りていました。うちのバンドのキーボードセッティングは、プログレバンドみたいです(笑)。

メンバーがどんどん曲を作り始める

もちろんバハマをはじめとしたライブハウスの出演も月に2〜3本あり、練習も以前と同じペースで週に1〜2回を4時間かけてやりました。ゴンゾは自宅が大阪芸大のすぐ隣の富田林市だったので、谷くんの時と同じように、夜になると誰かの家に集まって、バンドの話をずっとしていました。

そして、この頃からみんなオリジナル曲を書くようになりました。これまで全て谷くんの曲に頼ってきていましたから、彼が不在でも新曲を作らなくてはならない…という義務感みたいなものがあったんだと思います。

バハマでのライブ。フロントの3人男子。けっこうかっこよくないっすか?(笑)お気に入りの一枚です。
これもバハマでのライブ。この頃からうーさんが改造したマイクを持ち込んで歌うようになりました。
ライブ後のバハマにて。左からゴンゾ、うーさん、一宮くん、わし、バハマのお父さん、くまさん

以下が、谷くん以外のメンバーが作ったエンゼルアワーのライブ。Hare’s Hole(ハーズホール)はくまさんの曲。コズミックドライブはゴンゾの曲。

この他にもくまさんがもう1曲、僕が3曲、コンチが1曲、一宮くんが1曲…とメンバー全員が作曲できるバンドになりました。

京都拾得にも出演が決まる

夏の終わり頃には、京都の歴史あるライブハウス「拾得」での出演が決まりました。ここでもうーさんがオリジナルのPAを持ち込み、拾得のマスターも僕たちのことが気に入ってくれたようで、9月から毎月出演することになります。

拾得では、壁に白い幕を貼ってスライド的なものを投影したり、レーザー光線を使ったりしました。これらは大阪芸大の舞台芸術学科、照明専攻の杉山くんが力を貸してくれて、機材を投入したのです。

思えば谷くんが、既存のバンドの形にこだわらず「好きなことを好きなようにやっていい」って思想はメンバー全員にも受け継がれていて、曲作りやイメージ作りがどんどん仕上がっていった時代。

おそらく僕の体験したバンドの中で、この時期のエンゼルアワーは特別楽しくて、ものすごくクリエイティブだったと思うのです(自画自賛ですみませんw)

学園祭5日連続でライブディスコ運営

11月には大阪芸大の学園祭「芸大祭」があります。ここでは僕たちのバンドが主催者として、大きな教室をひとつかりて、5日連続でライブのできるディスコを運営しました。

みんなで役割分担して、ひとつのチームになったのはとても楽しかった。バンドも僕たちだけじゃなく、僕たち以外にも登場してきた芸大のニューウェーブバンドや、大学以外でも頑張っているニューウェーブ系のバンドを招いたりしました。

5日間のライブディスコの中に1日、14号館という大きな教室を借りることができたので、ここでニューウェーブバンドばかり集めたコンサートを企画運営しました。もちろんうーさんというPAまでやってしまうグレイトな人材がすぐそばにいたこともありますが、加えて舞台芸術学科、照明専攻の特攻チームが全面協力してくれたんです。

その照明チームの隊長は、昨年の新歓コンパでライブを手伝ってくれた小野山くんでした。ちなみに彼はデヴィッド・ボウイの大ファンで、いつも口癖で「おれ、ボウイのステージ照明できたら死んでもええわ」なんて言ってました。そして大学を卒業して数年経ったボウイの「シリアス・ムーンライト・ツアー」で、一宮くんが会場で小野山くんを発見し「何してんの?」と聞いたら「俺、このステージの照明スタッフやねん」と言っていたそうです。悲願達成して死んでなければいいけどなあ…なんて一宮くんは笑ってました。

フライヤーには電動マリオネットの名前がありますが、残念ながらメンバーの急病で出演できず。コンサートにはメンバーのTONOくんと、オサムが応援にきてくれました。
すり鉢型に椅子が配置された巨大な教室。ここで僕たちは観客が総立ちになって踊りまくる…という体験を生まれてはじめてしました。

12月の拾得ライブで解散

その後もライブハウス出演や、他の大学の学園祭などにも出演し、この年は64回も僕たちはライブを行いました。

そして1年前、谷くんが卒業したらどうしよう…という不安と同じものがエンゼルアワーを襲います。それは僕たち自身が卒業してしまうのです。すなわち卒業してからバンドを続けることができるか…ということ。メンバー5人の中で僕とコンチとゴンゾというフロント3人は来春には卒業でしたから。

結果、12月の拾得のライブでエンゼルアワーは解散することになりました。卒業したらゴンゾは東京に就職、コンチは神戸に帰って就職。そして一宮くんも幼馴染とやっていたバンドに専念するので、脱退したいという申し出があったのです。

エンゼルアワーはたった2年の活動でしたが、僕にとっては、このあとの人生が大きく変わってしまうような貴重な体験でした。ありがとうエンゼルアワー。

解散に際し、僕はバンドを継続したかったのですが、その願いは叶いませんでした。そして年があけて1982年。僕は芸大祭で知り合った年下の芸大生と新しいバンドを組むことになるのです。

つづく


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