狂気/ピンク・フロイド(8/31)
このバンドを牽引しているのが、レベッカの開始メンバであり、RED WARRIORSのロックンロールギタリスト木暮武彦(シャケ)なんです。
このバンドを牽引しているのが、レベッカの開始メンバであり、RED WARRIORSのロックンロールギタリスト木暮武彦(シャケ)なんです。
このアルバム完成後は、ビルはテクニシャン揃いのメンバーを引き連れて、レコードと寸分変わらない完璧な演奏で、アメリカンツアーを行う。しかし、ツアーはもちろんアルバムもあまり売れずに、そのままレッド・ノイズは解体されてしまう。
アメリカのブルースをイギリスのミュージシャンたちの解釈によって、ジミー・ペイジやクラプトンやローリング・ストーンズが存在したように、イーノにとってのルーツは、ジョン・ケージでありマルセル・デュシャンだったのかもしれない。
ちなみに、僕がレッド・ツェッペリンを評価しているのは4人というメンバーに何の無駄もないということ。それはビートルズと同じ。というか演奏能力に関してはビートルズ以上だと思う
流石にジョルジオ・モロダーだけあって、独特のシーケンスサウンドが全体のうねりを作っている。この当時は今のようにシンセサイザーをコンピュータで制御できないので、おそらく32ステップ程度のシーケンサーで、16分音符のシーケンスを作って、それをセンド&リターンを使って別のシンセで鳴らしていたんだと思います。
アルバムに参加しているメンバーは、そのVDGGメンバー(だったら活動停止すんなよ…と思うのですがw)、それにキング・クリムゾンのロバート・フリップ。1969年ですから、クリムゾンが1stアルバムをリリースした頃で、フリップもやる気満々だったんでしょうね。
オープニングは、もう何度もラジオで聞き慣れた「メタル・グウル」そして、次の曲は、アコースティックギターで始まる「ミスティックレディ」…。そして次もミドルテンポのロック…。あれ?…と思った中学二年生の僕。
このアルバム以降、シドは目立った活動は行わず2006年に他界する。残されたピンク・フロイドのメンバーは、1975年にシドバットに捧げたコンセプトアルバム「炎〜あなたがここにいてほしい」をリリースする。
吉川水砂子(よしかわみさこ)というジャスシンガーと夫婦共々仲良くさせてもらっています。最初に知り合ったのは一昨年(2018年)に行った僕の「還暦ロックンロールパーティ」に来ていただいたのがきっかけ。
大学生の僕がリアルタイムで発売されたばかりのアルバムを聴いたのは「人間解体 / The Man Machine」でした。そしてボウイは「ヒーローズ」をリリース。そのヒーローズのB面の最初に収録されているのが「V2シュナイダー」
ローリング・ストーンズは今年2020年にワールドツアーを開始するらしく、そのためにタバコも酒もやめる…ってなんかちょっとカッコ良いですね。ストーンズの中では一番最初、90年代にすでにタバコをやめたミック・ジャガーは、ツアーで歌い続けるために止めたと言ってましたから。
妻と結婚してからは、まだエアロスミス、クラフトワーク、ポールマッカートニーくらいしか、外タレのコンサートには足を運んでいませんが、残りの人生でもっともっとコンサートを観ておきたいです。
いやー、これねー。ブログに書くべき内容じゃないかもしれないのですけどねー。1時間くらい前に僕のFacebookのタイムラインに載せたら、1時間でシェア26件。コーヒーを吹き出してしまう人もいるようなので閲覧注意。ご自身の責任で、ご視聴ください。
もうね、何がすごいって「音楽」なんですね。…と書いても何も伝わりませんね。すみません(笑)。えっと中学時代から音楽に熱狂し、大学になってからバンドを結成してライブハウスに出まくっていた僕にとって、ひとつのバンドに8回もライブハウスに足を運ぶって事はありませんでした。まじで。
この当時で、76歳だったポール。僕よりも16歳も年上なのに、腰を振って踊って見せたり、二階のピアノのブースまで軽やかにぴょんぴょん上がって行くのです。僕なんか地下鉄の階段は手すりを使わないと降りれないのに…(笑)
今の妻と一緒に暮らし始めた頃に、昔バンド経験があることを伝えていたので、彼女が「まさゆきの曲が聴いてみたい」と言われました。自分自身はもう音楽なんて作っていなかったので、あまり自信もなかったのですが…。聴かせると、とても気に入ってくれて、「またバンドやりなよー」となんども言われたものです。(旦那に遊びのバンドを勧める妻って珍しくないですか? 笑)
大学時代から続けていた音楽作りの中で、自分自身で大きな分岐点になったのが、この「シティの残像」という曲です。これまで作ってきた曲と何が違うのかと言うと「黒っぽい」音作りをしてきたかったのです。つまりはソウル、ファンク、ブラコン…と言う黒人音楽を初めて意識した曲で、この曲から「ホーンセクション」のかっこよさを自分なりに再現してみたくなりました。まずは聞いてみてください。
今回のPLANET CITYで取り上げる際に、プロデュースはゴンゾ本人が行って、いつもはリズムトラックは僕が担当するのですが、この曲はゴンゾ自身がドラムのプログラミングをしています。しかも、この曲は「明るいロックンロール」でドライブ感のあるイメージがあったのですが、まさかの「テクノポップ」アレンジ。
この曲はPLANET CITYのキーボード奏者、榎本みょうが君の作曲です。現時点のレパートリーでは個人的に一番好きな曲かもしれません。それは作曲のみょうが君と、歌詞を作った僕とのコラボレーションがうまくいったからかも知れません。
アイスナインが小説家カート・ヴォネガットにインスパイアされた曲ならば、この曲は稲垣足穂の一千一秒物語にインスパイアされました。この小説は細かい短編から成り立っている足穂の代表作で、この中に「THE BLACK COMET CLUB」という説があります。
タイトルにもなっている「アイスナイン」とは、カート・ヴォネガットの「猫のゆりかご」というSF小説に登場する人類最後の兵器の名前。アイスナインは氷の結晶体の一つで、通常気圧下における融点は摂氏45.8度。通常の水に接触すると、その全てを連鎖反応的に凝固させてしまいます。つまりアイスナインが投下されると、すべてが凍りついてしまうのですね。
ここには、還暦ライブで配布した音源をはじめ、そこそこ完成しているトラックをアップロードしています。前にも書きましたけど、僕たちは最終的にファーストアルバムを作りたいので、最終的な完成バージョンは、アップしない可能性がありますけど、とにかく以下の段階で一番新しいPLANET CITYを聴いていただくことが可能です。
そこで、やはり「自分たちの音」と言える形を残したい。できればファーストアルバムとして形にしたい(パーティ配布のCDはあくまでもデモテープとして)、そこには妥協しない全力投入したい…と考えるようになりました。ライブの出来がよくなかったことなんて、どうでもよい…というか、練習していないのだから出来が悪くて当たり前なのだから。
バンドを再結成した僕たちですが、僕自身、今回のバンドはライブのための再結成ではなく。いわゆるパーティバンドではなく「ちゃんと音楽を作り続けたい」旨を伝えました。目前に迫った還暦ライブというイベントに備えていかなくてはならないものの、バンドの本質は「ちゃんと音楽を作ること」だと思っていたのです。
この4人のバンド名をPLANET CITYと名乗ることにしました。大学を卒業してから作ったバンド名と同じですが、最初に作ったバンドでまだやり遂げていないことがあるので、人生最後のバンドでもう一度、これを名乗ろうと思った次第です。
ほぼ30年ぶりに会う昔のバンド仲間に、元気をもらったものです。ハジメありがとう。さらに僕とハジメと文田君で「とりあえずバンドやりましょうよ」というハジメの提案で、3人で何回かスタジオで練習したこともあります(このバンドはその後、僕がロックバーをスタートさせたことや、ハジメが香港に移転して仕事を開始したことで、自然消滅してしまったのですが)
僕が初めて参加したバンド「エンゼルアワー」から「プラネットシティ」「遊星都市」と振り返ってみたのですが、この20代のバンド体験は、無駄な趣味のようで実は、その後の人生の「モノつくり」に大きな影響を与えてくれたんじゃないかと思います。
ひとりになっても何故僕は平気だったのか。実はこの頃に新兵器を手に入れたのです。それはローランドのMC-500というシーケンサーです。上の写真がそうなのですがシーケンサーとは書いてなくて「マイクロコンピューター」と書かれていますね。
前のバンドは1年ちょっとで解散したのですが、僕にとってはやり残したことがたくさんありました。もちろん、オリジナル曲を作ることに目覚めて、初めて「自分のバンド」という満足感はあったのですが、やり残したこと…というのは「ライブ」だったのです。
バンド活動としては短い期間でした。やはりひとりだけ社会人で残りは学生…というのは時間の配分が難しい。結局1年ちょっとで解散したのですが、この期間で僕が作品を作り続けたことは、さらに後のバンドにも大きな影響を与えた期間でした。
ライブハウス出演や、他の大学の学園祭などにも出演し、この年は64回も僕たちはライブを行いました。そして1年前、谷くんが卒業したらどうしよう…という不安と同じものがエンゼルアワーを襲います。それは僕たち自身が卒業してしまうのです。
年が開けて1981年。エンゼルアワーとして活動当初からめまぐるしい変化をしてきた僕たちにも、年明けから4月に向けて、少しだけ陰りがやってきます。というのも、バンドの中心人物であり、全ての楽曲を作り、バンドのコンセプトやイメージを構築してきた谷くんが、3月で大阪芸大を卒業してしまうのです。
おかげさまで…というか、全力投入したからか、オーディションライブは合格で、これからバハマのハコバンとして毎月出演することが決まりました。さらに嬉しいことに、僕らを気に入ったバハマのオーナー(姉さん)が、通常バンドよりもチャージバックが100円高い「土日バンド」に指定してくれたのです。嬉しかったなあ…。
まあ「レコーディング」というのは大げさですが(だってレコードを作るわけじゃないので)、高品質なデモテープを作れるというわけです。さっそくツテやらコネやらを使って、彼のスタジオでデモテープを作ることになりました。彼の名前は「うーさん」と言います。
「バンドやろうぜ」と言われて「おう!やろうぜ」と言ったものの、僕自身、中学時代にはフォークギターを持っていて、そこそこにギターは弾けますが、手元に楽器が何もなかったのです。「じゃ、今から楽器買いにいくか」ということになり、なんだかわけもわからないまま、その足で楽器屋に行き、進められるままにYAMAHAのCS30というシンセを買ったのです。
後半の「 Once there were mountains on mountains」あたりから、暗転だったステージに明かりが点り、「これはコカインでラリってる場合じゃねえぜ!」と叫ぶあたりで、ステージの上の照明にすべて明かりが灯るのです!