システム・オブ・ロマンス/ウルトラヴォックス(14/31)

近年のシンセポップに大きな影響を与えた

ウルトラヴォックスと言っても、ミッジ・ユーロが参加してからのバンドではなく、リーダーでありソングライターであり、コンセプト・メイキングをしていたジョン・フォックスが在籍していた時のアルバム。彼はこのアルバムを最後に、自らが作ったウルトラヴォックスを去る。

「システム・オブ・ロマンス」は、1980年代に入って花開くシンセポップバンド(デュランデュランやヒューマンリーグ、デペッシュモードなどの)の原型を作ったアルバムだと思っている。

このアルバムがリリースされたのが1978年。翌年の1979年にはYMOの「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」がリリースされる。細野晴臣はこのアルバムを聴いてベーストラックを録音し直したと、wikiには書かれている。

同じく1979年にはゲイリー・ニューマンがチューブウェイア・ーミー名義で「レプリカズ」をリリース。ゲイリーは自らの師をジョン・フォックスと公言しており、ジョン・フォックス時代のウルトラヴォックスのファンだった。

ちなみに、この(↓)動画は、ゲイリー・ニューマンがウルトラヴォクスを語るというもの。後半にはジョン・フォックス自身も出演している。

大学時代に擦り切れるほど聴いた

僕自身が、このアルバムを聴いたのは、実はリアルタイムではなくリリースの翌年の1979年。先に書いたYMOの「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」の方を先に聴いたかもしれない。そういう意味で、やや遅れたウルトラヴォックス体験なのだが、初めてレコードに針を落とした時の衝撃は凄かった。

それは、同時期に大学生の僕はバンド活動をスタートしようとしていた時であり、ベースギターを買う前にシンセサイザーを買ったことも大きい。大阪芸大という特殊な(笑)大学のせいで「新しい試みをやってみたい」という欲望が大きかったのだ(詳しくは「エンゼルアワーを結成した」を参照)

そしてシンセサイザーだけのテクノバンドだった僕たちは、ドラムやギターを加えてロックバンドの体裁になった頃には、よりこのアルバムのサウンドを意識して音作りをしていたのは事実だ。

コニー・プランクの出会いがバンドを変えた

このアルバムはウルトラヴォックスにとって3枚目のアルバム。それまでは、どちらかというとパブロックに近い形でビートが効いたサウンドが多かった。それが、このアルバムから突然変異をしてしまうのです。

それはプロデューサーにコニー・プランクが立ったからに違いありません。彼はクラフトワークやノイ!などをプロデュースし、その影響はブライアンイーノ(とりわけボウイと組んだ「ベルリン三部作」)にも及んでいると言われています。

例えば、シンセサイザーを冨田勲やウォルター・カーロス、プログレの演奏のためのものではなく、シンセサイザーが持っているキッチュでチープなサウンドに愛情を込めたのが、クラウトロックと呼ばれる西ドイツに登場した実験的(前衛的)ロックバンド群。

そして、ジョンフォックスはウルトラヴォックスのファーストアルバムで「I Want to Be a Machine(マシーンになりたい)」という曲を発表しています。この当時のシンセサイザーに越しに見える未来。そこに大きな情熱を傾け、コニープランクが形に仕上げたのではないでしょうか。

さらに、このあアルバムからはギタリストにロビンサイモンが抜擢されます。彼のサスティンが効いている伸びのあるギターサウンドこそが、ウルトラボックスのキモだったのではないかと思っています。

システム・オブ・ロマンス以降

1978年、このアルバムをリリースしてからアメリカツアーを行ったウルトラヴォックスから、ジョン・フォックスとロビン・サイモンが脱退。その翌年の1979年に「システムオブロマンスからいいとこは全部盗んだ」と公言しているゲイリー・ニューマンがアルバムをリリースして、ワールドツアーを開始。その時のキーボードのサポートメンバーが、ウルトラヴォックスのビリー・カーリー。

あの印象的な白玉キーボードのフレーズは、こうして拡散を初めていったのですね。その間、残ったメンバーはビリー・カーリー以外にすることがなかったみたいです。

さらに翌年の1980年。ヴァージンレコードに移籍したジョンフォックスが「真玉ティック」をリリース。これが出た時も衝撃でした。

あえて一番安価なリズムボックス(おそらくドクターリズム)を使い、スカスカのテクノポップ。システム・オブ・ロマンスから余分な肉を削いだようなサウンド。これを以っていかにジョン・フォックスが、あのサウンドの骨格を作っていたのかが、わかりますね。

そして、残ったウルトラヴォックスのメンバーは、元リッチ・キッズ、元シンリジィのサポートメンバーだったミッジ・ユーロを迎えて、バンドを継続。

まるで自らのシステムオブロマンスをパクったようなアルバム「ヴィエナ」をリリース。ジョン・フォックスのソロが、システム・オブ・ロマンスから骨格だけを取り出したのであれば、新生ウルトラヴォックスは、デラックスでゴージャスなサウンドになっています(ちなみにヴィエナのプロデューサーもコニー・プランク)。

…なんか、新生ウルトラヴォックスをディスっているように聞こえるかもしれませんが、このアルバムがリリースされた時は「またこれで聴き続けられるバンドが増えた」と嬉しかったものです(二度の来日公演にも行ってますしねw)。このアルバム以降、リリースされたアルバムやシングルはバカ売れして、大成功を納めるバンドになっていくのです。

まあ、ミッジ・ユーロという人は、根っからポップで、器用な人なんだと思います。ただ、このバンドがウルトラヴォックスという名前でなければもっと好きになっていたと思います。

ジョンフォックスは、メタマティック以降も「ガーデン」という素晴らしいアルバムを作り、そこにはロビン・サイモンが駆け付けています。ただ、それ以降は、ちょっと鳴かず飛ばずであったこともあり、一時期はスタジオを売却し、デザイナーや大学の先生をして食いつないでいたそうです。

それでも、YouTube動画にあったように、今でもゲイリー・ニューマンは、ジョン・フォックスをリスペクトしており、気のいいお爺さんになったジョン・フォックスもかっこいいなあ…と思っています。ぜひ、長生きしてほしいです。


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