Macでデザインするのが不自由な時代
(前回の続き)Macintoshを操作しはじめた頃、こんなものでデザインができるのか…と半信半疑でした。それは自分自身のMacのオペレーションが拙かったこともありますが、Macを使ってデザインする…という環境が揃っていなかったことも大きいです。
なにより標準の日本語書体はモリサワの2書体しかなく、今でこそ日本語フォントの巨人としてのモリサワさんですが、当時のデザイナーは圧倒的に「社研」という写植メーカーの支持者が多く、ぶっちゃけモリサワの書体は「いなたい」(関西弁でいうダサい)という印象でした。
そして何よりも、今のようにコンピュータがサクサク動く時代ではなかった。例えばPhotoshopで画面モードをRGBからCMYKに変換することは瞬時にできますが、信じられないことに当時は3分くらいは楽にかかってしまってました。
圧倒的に、頭で描いたデザインのイメージを形にするには、アナログの工程の方が素早く、品質も高いものを作り出すことができたのです。
だが、おそらく1990年代初頭にMacintoshを使ってデザインをしていたデザイナーたちは同じ悩みを抱えていたんじゃないでしょうか。しかし、その多くのデザイナーたちは、たとえ周囲に何を言われようが、いずれMacintoshでデザインすることが一般的なフローになると信じていたのです。「それでも地球は回る」と同じ感じですね(謎)。
いま、思うにそれは環境の問題や、慣れの問題などもありますが、もっとも重要だったのは、頭の中で(というか意識の中で)Macintoshでデザインすることをゼロスタートとして捉えられていなかったんじゃないかと思います。あまりにも過去に自分が身につけたデザインやディレクションのスキルに囚われすぎ。
実際に僕自身も百貨店カタログのアートディレクターというポジションにいて、同年代のデザイナーの中では、先頭集団としてクリエイティブやデザインに向かい合っているような気持ちでいました。ところが、Macintoshに出会ってからは、まるでタイムスリップしたかのごとく、デザインを一からやり直しているような感覚に陥っていました。
さらにいえば、当時「Macintoshを使ってデザインする」という行為に飛びついたのは、残念ながらデザイナーよりも製版屋さんや写植屋さん、印刷屋、版下屋さんのような、どちらかといえばクリエイティブとは遠い世界の人たちの熱意でした。
もうMacintoshにクリエイティブを求めてはいけないのかな…という残念な負け犬根性を感じていたとき、一冊の書籍に出会います。それは戸田ツトム氏の『森の書物』という書籍(1989年刊行)と翌年の90年に刊行された『DRUG 擬場の書物』。
戸田ツトム氏に再び出会う
戸田ツトム氏といえば、杉浦康平、羽良多平吉と並んで、僕が尊敬してやまないエディトリアルデザイナー。大学時代に毎月、工作舎の「遊」を購入し、その杉浦康平氏のデザインに痺れてデザイナーになったと言ってもよいです(特に『全宇宙誌』はバイブルでした)。その直系とも言える戸田ツトム氏が、すべてをMacintoshだけで作った書籍は、僕だけではなく、日本中のデザインに向かい合う人々に勇気を与えたのではないでしょうか。
例えば、Illustratorを使えば1ミリの幅の中に100本の罫線を引くことができる。人間では不可能な工程を、コンピュータはあっさりとやってしまう。ほんの短い時間で。それがコンピュータでデザインすることに本質だと思うのです。そしてほんの短い時間でウルトラCのような技術を実装できるのだから、残った時間は、クリエイティブに可能な限りの時間を使おう。
そんなメッセージを受け取ったと、僕は勝手に解釈しています。
興味のあることはバンバンやればいい
そんな勇気をもらってから、Macintoshでデザインすることが楽しくなった。そして、そこそこMacintoshも使いこなせるようになった頃。戸田ツトムは『アダリー 重力のほとり 三次元Computer Graphics図像誌』という書籍を刊行します。
そこにはまだ僕が使いこなせていない3Dソフトが登場しています(たぶんSTRATAじゃないかな)。自分が興味があるのであれば、グラフィック以外の分野でも、どんどん触手を伸ばしてよい。
そんなことを教えてもらったような気がして、僕のMacintoshのスタートは確かに「仕事としての」デザインやDTPだったのですが、このあとに3Dやアニメーション。マルチメディア、映像制作、音楽制作とどんどん枝葉が伸びていき、今日があります。そのきっかけは、この時代に出会ったMacintoshと、同世代のクリエイターの皆さんのおかげだと思っています。