エンゼルアワーを結成した

おいモンタ、バンドやろうぜ

大阪芸術大学の2年生の冬。「おいモンタ、バンドやろうぜ」と誘ってきたのは谷ケンでした。「モンタ」というのは僕の小学校から中学校1年生(すわなち愛知県稲沢市に住んでいた頃)のニックネームで、谷ケンというのは中学時代の親友:谷健児のニックネームです。

谷ケンとは僕が、中学1年の三学期に横浜に引っ越してからも、中学・高校とずっと文通していた親友。大学も彼が「大阪芸大に行くからおまえも来いよ」と誘われて受験しました。残念ながら僕は一浪したので、大学では谷ケンが一学年上でした。だからバンドに誘われた時、谷ケンは大学の3年生。

谷くん(ここからは大学時代に呼ばれていた呼称で書きます)は、大学に入ってから、急に音楽に目覚め。ギターやアンプ、果てはドラムセットまで購入し、最近はコルグのMS20というシンセサイザーまで買っていたのです。

谷くんが買ったMS20は、シンセベースとしてライブでは僕が弾いていました

彼はパーマネントなバンドは組んでいませんでした。というのも僕たちが通っていた大阪芸大は、南河内郡だからかどうかは知りませんが(笑)、大学内にアメリカ南部のサザンロックバンドが多く、他はハードロックバンドとフュージョン。谷くんがやりたい音楽ではなかったようです。

僕も谷くんもこの頃は、ロックばかり聞いていましたが二人が共通して好きだったのは、ピンク・フロイド、デヴィッド・ボウイ、そしてテクノポップとパンクロックだったのです。

バンドやろう…と言われても…

「バンドやろうぜ」と言われて「おう!やろうぜ」と言ったものの、僕自身、中学時代にはフォークギターを持っていて、そこそこにギターは弾けますが、手元に楽器が何もなかったのです。

「じゃ、今から楽器買いにいくか」ということになったのですが、谷くんがその時に「モンタもシンセサイザー買えよ、一緒にテクノバンドやろうぜ」ということになり、なんだかわけもわからないまま、その足で楽器屋に行き、進められるままにYAMAHAのCS30というシンセを買ったのです。

17万5千円もしたYAMAHAのシンセ。シーケンサーまで付いているのですが、あまり使い物にならなかったような…。

そしてバンドで何をやるか…という話になり、プロの曲をコピーするには演奏能力がないので(ふたりとも)、下手くそなバンドだってバレるし(笑)、なによりコピーするって、難しいじゃん、だったら俺がオリジナル作っているから、それを演奏しようぜ。ということになりました。「いーね、いきなりオリジナル曲でかっこいいね」と僕も賛成。

BOSSのドクターリズム(DR55)。ライブでは勝木くん(誰)に応援してもらって、スイッチのON/OFFとフィルインのタイミングを手入力してもらっていました。
コルグラムダ。当時のシンセサイザーはほとんどがモノフォニック(単音)和音がでるキーボードは限られていました。そのなかでもラムダは名機だと思います。コルグ特有の憂いのあるストリングスサウンドが絶品です。

そして、谷くんが劇団で知り合った音楽学科の女の子(くまさん)にも手伝ってもらおうとなり(彼女は音楽学科だからピアノが弾ける…というだけの理由でw)、そして谷くんがドラムを叩きながら演奏するのは難しいから、リズムボックスを使おう…。ということになりBOSSのドクターリズム(DR55)を買い、くまさんにはコルグのポリフォニックキーボード「ラムダ」と、ローランドのJC60というギターアンプを買ってもらいました。

谷くんとくまさんと僕のバンドは「エンゼルアワー」と谷くんが命名し、シンセサイザー2台とポリフォニックキーボード、リズムボックスという構成でバンドがスタートしたのです。

デビューは新入生歓迎コンパ

僕はCS30を使ってベースを担当。気分はYMOの細野晴臣です(笑)。しかしながら、キーボードなんて幼稚園の時にオルガンを習っている時以来触ったことがなく、鍵盤の指使いを覚えるのに必死でした。

そこに谷くんがボーカルと効果音的なシンセを被せ、メインの演奏はラムダが担当。練習は、谷くんが借りていた農家の離れ(山の中の廃屋、だからドラムを叩いても大丈夫)で毎日のように行い、せっかく練習したんだから、ライブやろう…ということになり、5月に行われた、美術学科の新入生歓迎コンパに出演することになりました。

ローランドSH3Aは、ノイズ系の音が素晴らしく。アタックが強かったので重宝しました。小野山から借りたこのシンセは「使ってないからやるわ」と言われ、エンゼルアワーの正式機材になったのです(笑)

ライブではオリジナルの3人に加えて、もうひとり舞台芸術学科の照明専攻の小野山くんに、彼の持っていたシンセサイザー、ローランドのSH3Aでホワイトノイズパーカッションで参加してもらいました。

春になって谷くんは4年生、僕は3年生になった1980年5月20日。大阪芸術大学・美術学科「新入生歓迎コンパ」でエンゼルアワーはデビューしました。当時の大学、とりわけ大阪芸大は学内でやたらと酒を飲むコンパが多く、肉体を酷使する(笑)美術学科のせいか、頻繁に酒盛りをしている大学でした。

そんな中で「新歓コンパ」は、春の大きなイベントで、ちゃんとPAまでレンタルしたパーティを行います。なので美術学科以外からも多くの参加者が来ていました。けっこう大きなライブハウスみたいな感じ。

通年は学年内のセッションバンドで、ロックンロールのコピーバンド(ローリング・ストーンズとかフリーとかフェイセズとか)の演奏で騒ぐことが多いのですが、僕たちは新歓コンパのオープニングに登場。

バンドなのに、ギターやベースなどの弦楽器はなくドラムさえいない。ステージ全面に机が一列に並べられて、その上にシンセサイザーがあるだけ。1980年といえば前年にイエローマジックオーケストラが「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」をリリースしていましたが、まだまだシンセサイザーを購入してバンドを組んでいる数は圧倒的に少なかったので、美大生たちは「何が起こるのか」と興味津々。妙に客席がざわざわしていたのが心地よかったです(笑)。

毎年ロックンロールバンドでスタートする新歓コンパが、シンセサイザーとリズムボックスだけのバンドが、聞いたこともないオリジナル曲を一方的に演奏する。お客さん(美大生)も何が起こっているのかわからず(笑)、唖然とした感じ。

しかし大阪芸術大学であることで「芸術」の名の元に妙に納得していたような気もしました(笑)。あとから聞いた話では、けっこうこれは大学内で衝撃的だったそうで、大阪芸大にもテクノバンドがある…って噂になったようです。

ライブでは谷くんが、PAのマイクを使わずに自分のマイクにディストーションとフランジャーとディレイを繋げて、それをギターアンプに突っ込んでPAに送っていました。加工されたボイスは楽器のようです。

楽曲は僕(ベース)とくまさん(キーボード)で殆どの演奏を担当。谷くんはボーカル以外に、リズムボックスのスイッチのON/OFFという、極めてライブで重要な役割(笑)も担当していました。

僕はこのバンドで初めて「バンド体験」をしました。そして最初のバンドがエンゼルアワーで本当によかったと思っています。とりわけ、なんの演奏能力もない僕が、このバンドに参加してよかったと思うことは「創意工夫」ということです。

一般的に「バンドするなら、こういう風にする」というルールが一切、エンゼルアワーにはなかった(というか谷くんにはなかった)。面白いこと、新しいことをするためなら、どんどん新しいルールを作って、それを試すことができた。この経験こそが、このあと僕がドンドン音楽制作にハマっていくきっかけになったのです。

つづく


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