ポール神田の出会い
(前回の続き)1992年になり、僕たちもMacintosh一筋のデザインチームを指導していました。現在では考えられないでしょうけど、当時のデザイナーの机の上にあるのは、Macintoshではなくカッティングマット。机の横には三角定規とコンパスとロットリングペンとトリミングスケールとペーパーセメントとスプレーのりとソルベックスとシャープペンシルとディバイダとツィザーと写植スケールと写植見本帳とCMYKの色見本とDICと日本の伝統色のカラーチップがあり、使用する道具は、ゼロックス(いわゆるコピー機のこと)とトレスコープ。
それに比べて、僕たちの机の上にはMacintoshとモニタと外付けのリムーバブルハードディスクで仕事をしていたのです。
さらにスキャナやPostScriptプリンタ(モノクロとカラー)、昇華型プリンタ、イメージセッターがApple Talkで繋がっていました。
おそらくイメージセッターまで完備しているデザインスタジオは大阪で僕たちだけだったと思います。そんなこんなで、色々と珍しがられて、仕事を進めるうちに、色々と取材の方がやってくるようになりました。
そんな中で、紺色のトラッド系のブレザーにネクタイをして、黒フチのメガネをかけた青年が取材にやってきました。その彼こそが、この時から30年近くも交流のあるポール神田なのです。
ポール神田と書いてもわからない方もいますよね。本名は神田敏晶(Wikiぺディアで読む)で、おそらく僕のブログの読者さんでは、ほとんどの方がご存知の「神田さん」です。
彼がオフィスを訪問した理由は、当時彼が編集長をやっていた「MacPress(マックプレス)」というMacintoshユーザーに向けての情報誌(タブロイド判)だったのです。
さっそくMacPressで連載を持つ
まあ、その取材でポール神田と意気投合しまして…(笑)。そのMacPressという情報誌が、いかにもミニコミの延長っぽくて、でも、ちゃんとデザインして取材してライティングして…というとこに共感したのです。
それは、僕が昔やっていた「サウンド&ヴィジョン」というミニコミに似た共感があり、MacPressに乗っている広告スペースの割り振りがまさにミニコミ的だったのですよ(笑)。
そして、さっそくマックプレスで連載を依頼されました。かつでミニコミの編集長でもあり、記事も書いていた僕は、当然快諾で「DTP現場検証」というコラムを1年くらい書きました。
それ以外でも、デザインやDTPの特集の際には、よく取材してもらって大きく取り上げてもらいました。
さらに、自分が仕事のメインでやっていたDTPの特集では、必ず取材してもらい、時には実験的にMacPressの紙面を、僕のデザインスタジオでフルDTPで入稿したこともあります(当時MacPressはアナログ入稿だった)。
さらにフルDTPでイメージセッター出力と、DTPで組んだものをCEPS(製版システムとの連動)で出力したものを、フィルム提供したこともあり(その時のCEPSはサイテックス社のビジョナリーシステムに渡していた)、僕にとってもMacPressは、思い出深いメディアです。
我が家には、全部ではないですけどMacPressが結構残っていて、これはこのまま断捨離しないでおこうかと思っています。
つづく