DTPまっしぐらの頃

社内でMacintoshチームを編成する

前回のつづき)Macworld Expoで体験した悔しい思いを大阪に持ち帰り、そこから本当に必死でMacintoshを使ったデザインに取り組み、本格的にDTPに取り組みました。

1991年の初頭に2台のMacintoshで仕事をしていた2人だけのチームは、1992年の11月(つまり2年後)には、6人体制のチームとなり、マシンも強化しました。このブログの最上部のイラストは1992年に構築したDTPシステム図です。さらに元の通販デザインチームとは別のビルを借りて、そこにチームを移動させたのです。

最初2台だった「Macintosh II fx」も2年後には4台になり、「Macintosh II ci」が2台、ハイエンドマシンの「Macintosh Quadra950」を1台設置して、それを僕が使っていました。

Quadraを注文するときに、アップルセンターに「大阪で一番パワーがあって早いマシンをください」と注文し、当時はワークステーションみたいな扱いで使っていました。なぜなら当時のPhotoshopは、マシンパワーに依存していたので(特にメモリ)、遅いマシンだと仕事にならなかったのです。

  • Macintosh II fx-32MB/425HD+Super Mac21
  • Macintosh II fx-8MB/200HD+Super Mac19
  • Macintosh II fx-8MB/200HD+Super Mac19
  • Macintosh II fx-8MB/160HD+Super Mac19
  • Macintosh II ci-8MB/80HD+apple21(B/W)
  • Macintosh II ci-8MB/80HD+apple21(B/W)
  • Macintosh Quadra950-64MB/644HD+Super Mac21

さらに周辺機器も充実させた

DTPとはデスク・トップ・パブリッシングの略で、直訳すれば「卓上出版」となるのでしょうか(笑)。現在ではコンピュータを使って印刷物の前行程を作ることは、ほぼ常識ですけど、この当時はまだDTPの黎明期で、商用利用するには、まだ少し早いと言われていた時代でした。

「まだ早い」というのは、パソコンも周辺機器もソフトウエアもまだまだ登場したばかり。当然今のコンピュータの環境から比べると1/100くらいのスペックと言ってもよいでしょう。それを製版屋や印刷屋のシステムと同じ工程をやろうと言うのですから、今考えるとかなり無謀。

しかも、当時の周辺機器は極めて高額。Macintoshとモニタとビデオカードだけで1セット200万から300万円。スキャナも50万から100万円。OKIの801マイクロラインというプリンタも100万円。プリンタに搭載するフォントも、多く揃えると150万円くらい。キヤノンのPIXEL EPOという普通紙カラープリンタも300万円くらい。写真仕様でプリントできるビクターの昇華型プリンタも100万円越え。そして各マシンには外付けのリムーバブルハードディスク。そしてソフトウエア。

そして極め付けは、ライノトロニッック530+RIP30Jという、印画紙や製版フィルムを出力するイメージセッターが二つ合わせて4000万円くらい。さらに酸っぱい匂いのする自動現像機。もうデザインオフィスの機材ではないです(笑)。

毎日がポストスクリプトとの戦い

そして、これだけの機材を揃えたとしてもデザインや印刷物の仕上がりは、アナログ工程で行った方が綺麗で確実。当時、印刷・製版業の多くの専門家は「Macintoshみたいなオモチャで何ができるねん」と一蹴されたものです。

それでも僕たちは諦めませんでした。というか当時、日本中、いや世界中で「いつかはMacintoshで高品質な印刷物を作ってやる」と歯を食いしばって耐えたものです。

そして現場では、パソコンの中でデザインは完成していても、出力できないという致命的なエラーが常時起こります。これは、DTPを実践するには、PostScript(ポストスクリプト)というページ記述言語を使わねばならず、データの作り方を間違えると、「ポストスクリプトエラー」という恐怖のアラートが出て、その瞬間デザイナーは死にます(笑)。

とりわけひどかったのは、Adobe Illustrator。そしてアルダス・ページメーカーでした。当時Illustratorは、競合にFreeHandという製品があったのですが、圧倒的にIllustratorのシェアの方が多く、そのぶん制作側も色々なノウハウを解析しては、安全に出力できるようにしていました。

この当時のページメーカーは、カラー出力(フィルム分解)ができなかったのも、不満のひとつだったんだと思います。

ただ、ページメーカーの場合は原因不明のエラーが多く、同じページレイアウトソフトのQuarkXPressの方が安定していました。その分QuarkXPressの方が価格が高かったので、コスト優先で導入したページメーカーユーザーは、不満が多かったようです。

僕もページレイアウトはQuarkXPressを使っていました。あまりにも使いこなしすぎて、すべてのショートカットを暗記していたほどです。当時はとても頼もしいアプリケーションでした。

そんな時、東京からアルダス社が関西のDTPのパワーユーザーを100人くらい招いて、プライベートカンファレンスを開催。けっこう大きなホールで(どこかのホテルだったような)、そこには僕のようなデザイナー以外にも、製版屋、印刷屋、写植屋、サービスビューロー(出力屋)が集まってきていました。

セミナーは商品紹介で終わり、おそらくアルダス社はページメーカーとフリーハンドのシェアを伸ばそうと関西のパワーユーザーを集めたと思うのですが、その内容が、展示会などで聞くような、どちらかと言うと初心者向け的な内容。ところが観客は、日々Macintoshで出力をしているプロフェッショナルですから、徐々にフラストレーションが溜まっていたのでしょう。最後の質疑応答では、猛烈なページメーカー批判が起きて、アルダス社のみなさんが、うろたえるような怒号が飛び交ったのです。

某サービスビューローの担当者A君は「お客さんはページメーカーからトラブルメーカーに名前を変えて欲しいと言ってますよ」などと笑えない冗談まで出てくる始末。関西の人間にしてみれば、なかなか東京のメーカーの人には会えないので、この時とばかりに色々と直訴していました。

セッションが終わって、別室でものすごいゴージャスな料理が並べられたパーティが開催されたのですが、出席者の多くはそのまま帰ってしまい(なぜなら、その日も帰って出力の仕事があるので)、アルダス社の人々は本当にかわいそうでした。

実は、この時のアルダスの社長は、のちのマクロメディアの社長になる手嶋さんで、他にも石井さんや函館さんなどなど、後に僕が色々とお世話になる方々ばかりで、今考えるとちょっと冷や汗モノなんですけどね。

つづく


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