なつかしのMacPress
そして、さっそくマックプレスで連載を依頼されました。かつでミニコミの編集長でもあり、記事も書いていた僕は、当然快諾で「DTP現場検証」というコラムを1年くらい書きました。
そして、さっそくマックプレスで連載を依頼されました。かつでミニコミの編集長でもあり、記事も書いていた僕は、当然快諾で「DTP現場検証」というコラムを1年くらい書きました。
戸田ツトム氏といえば、杉浦康平、羽良多平吉と並んで、僕が尊敬してやまないエディトリアルデザイナー。大学時代に毎月、工作舎の「遊」を購入し、その杉浦康平氏のデザインに痺れてデザイナーになったと言ってもよいです
彼の出世作「ジョーズ」でもそうだったが、どこから敵(鮫や恐竜)が出てくるのか、見ている側はスクリーンの四隅まで意識を持って見させてしまう技量。そして半拍置いたあたりで、とんでもない画面展開になるカット割り。本当に最後までぐいぐいと引き込まれる、
そして現場では、パソコンの中でデザインは完成していても、出力できないという致命的なエラーが常時起こります。これは、DTPを実践するには、PostScript(ポストスクリプト)というページ記述言語を使わねばならず、データの作り方を間違えると、「ポストスクリプトエラー」という恐怖のアラートが出て、その瞬間デザイナーは死にます(笑)。
1991年の2月。日本で初めてMacworld Expoが幕張メッセで開催されます。今のAppleのMacユーザーの方はほとんどご存知ないと思うのですが「エキスポ」と名前が付いているだけあって、巨大な展示会です。当時僕たちのデザイン業界では、ほとんどMacは認知されておらず1991年のMacの販売台数は、まだ月間1000台程度。まだウインドウズが台頭する前の時代で、パソコンといえばMS-DOSというのが定番だった時代。ウインドウズ3.0もリリースされた年でしたが、誰も見向きもしなかった時代。それほどパーソナルコンピュータは一般的ではなかったのです。
当時Macintoshを購入するには、直営のApple Storeがない時代で、かつ家電製品として電気屋で購入できる時代ではなく、アップルコンピュータ(当時はこれが会社名でした)と契約した、オーストライズディーラーやリセイラーから購入する時代だったのです。うちの会社は土井グラフィックセンターが運営していたアップルセンター梅田で購入。最初のマシンは「Macintosh II fx」というマシンで、本体だけで98万円していました。
そこからMacintoshの雑誌や専門書を買いあさり、調査から半年後に会社にプロジェクトチームを作るための提案書を書きました。これからどんどんコンピュータがデザインの世界に入ってくる。そのための実験と検証とスキルを蓄積したいというのが骨子。結果、社長の了承を経て僕の机の上に、とうとう念願のMacintoshがやってきたのです