はじめてのMacworld Expo/Tokyo
前回の続き。森川眞行です。前回のブログ記事を書き終えて、Facebook経由ですごい反響でした。考えてみれば30年近く前の出来事なので、あの当時、最先端でMacintoshやコンピュータに関わっていた方々は、もうみんなおっさんとおばはんですもんね。僕にとってもそうであるように、社会に出てからMacintoshとの関わりは、ある意味「青春」だったのでしょうね。
そうそう、前回の記事で訂正があります。僕たちの会社がMacintoshを導入したのは1990年の師走ごろ。なぜ1年間違えたかと言うと、当時購入したIllustratorのスタートアップスクリーンに「Illustrator88」と書いてあったのを覚えていたからです。
そして購入したのは「アップルセンター心斎橋」で、同じ土井グラフィックセンターグループの、梅田サービスビューロー の山口さんと阿部さんが、週に2回、僕にマンツーマンのトレニーングをしてくださったものです。
そして、前にも書きましたが、コンピュータに向かい合って3ヶ月くらいは、ちゃんとマウスを動かすことができず、特にIllustratorのベジェ曲線の、アンカーポイント操作には泣かされました。
そして1991年の2月。日本で初めてMacworld Expoが幕張メッセで開催されます。今のAppleのMacユーザーの方はほとんどご存知ないと思うのですが「エキスポ」と名前が付いているだけあって、巨大な展示会です。
当時僕たちのデザイン業界では、ほとんどMacは認知されておらず1991年のMacの販売台数は、まだ月間1000台程度。まだウインドウズが台頭する前の時代で、パソコンといえばMS-DOSというのが定番だった時代。
ウインドウズ3.0もリリースされた年でしたが、誰も見向きもしなかった時代。それほどパーソナルコンピュータは一般的ではなかったのです。
なので、Macworld Expoという冠が付いていても、どうせショボい展示会だと思っていたのですが、これが足を運んでびっくり。初年度なので多分メッセの巨大ブース2コマをぶっ通しで会場にしていたと思うですが、そこには何万人ものMacユーザーが、数多くのサードパーティのデモを見たり、カタログを集めていたのです。
はじめてのエキスポは悔しい気持ちでいっぱい
そして、まだマウス操作でマゴマゴしていた僕は、キヤノン販売のブースや、Adobeのブースで、いとも簡単にベジェ曲線を操作している兄ちゃんたちを見て、スーパー凹んだものです。
とりわけ初年度の参加はひとりぼっちだったので、この会場にいる何万人もの人々はみんなMacのスペシャリストなんだと思って、やるせない気持ちと情けない気持ちと、悔しい気持ちでいっぱいでした。
当時は、宿泊のホテルは都内に取っていたのでエキスポを見たあとに、京葉線の車内で「次のエキスポまでには、Macintoshをバリバリに使いこなしてやる」と心に誓ったものです。今考えれば、この「悔しさ」こそが、僕をMacintoshのスペシャリストにしてくれた要因だったのかもしれません。
そして、この年から毎年欠かさずに僕はMacworld Expoに参加するようになり、3年後には単なるイベント参加者ではなく、何らかのビジネスで会場を訪れ、主催者のIDGさんとも、のちに一緒に仕事をすることになるのです(そのあたりのことは別途また書きますね…つづく)