デッサンばかりしていた頃

受験に失敗して浪人生活

高校時代、先のことなど何も考えないで、ほんとうにぼんやりと映画を見て、ラジオを聞いて、マンガを書いて、本ばかり読んでいた、どうしようもない僕も、高校三年生になると、そろそろ卒業後のことを考え始めます。

「大阪学院大学高校」という高校なので、クラスの6割くらいは「大阪学院大学」を受験します。まあ、それもよかったのですが、大阪学院大学も高校からの進学が多いせいか男子の数がとても多い。高校時代の男ばかりの学校生活は、嫌いじゃないですけど、そろそろ違う環境に進んでみたかった。

そんな時、中学からの親友である愛知県在住の谷くん(彼とは中学・高校と5年間文通していた)が、大阪芸術大学の美術学科を受験するので、僕も一緒に大学行かないか…と誘ってきた。そこで高校三年生の二学期から、担任に志望校を「大阪芸術大学・美術学科」にすることを伝えました。

とっても、大阪芸大の美術学科にはデッサンと色彩構成という実技試験があり、高校三年間、美術部でデッサンをしていなかった僕は、たった数ヶ月の付け焼き刃デッサンでは、実力が伴うわけもなく、あっさり受験を失敗し浪人生活がスタートしました。

頭の悪い僕でも、大阪芸大美術学科に合格するには「デッサン力」がなければダメだということは分かってます。そこで十三にあった「アカデミージュリアン」というアトリエに通うことになります。たぶん浪人した年の6月くらい。

週に三回デッサンを学ぶ

アカデミージュリアンというのは、関西出身の2人が東京で多摩美/武蔵美に進学し、卒業後に大阪で立ち上げたアトリエで、設立してまだ2年くらいだったと思います。2人の先生はひとりはデザイン学科で、もう一人は油画を学んでおり、とりわけデッサンを教えてくれた高屋修先生は「絵描き」になること以外の人生の選択肢はないような方で、この先生にデッサンを教えてもらったのは人生の大きな糧になっています。

デッサンというのは、小手先のテクニックではなく「モノを構造的に見る行為なのだ」ということを徹底的に教え込まれました。いま目の前で見えているものを、きちんと構造化する…ってのは、本当にトレーニングする以外のなにものでもなく、高屋先生も「ちゃんと見る目があれば、デッサンは誰でもできる」とおっしゃってくれていました。

たぶん、この1年で学んだデッサンは、その後の人生でグラフィックデザイナーになっても、すごく役に立っています。今も時間があれば、またイーゼルに向かってデッサンがしてみたいと思いますし。

現在、高屋先生はフランスに渡り、そこで画家として活躍されています。初志貫徹というか、本当に絵描きになってしまう高屋先生を僕は今でもリスペクトしています。

一昨年40年ぶりに再会しました

そんな高屋先生も、数年に一回日本で作品の展示を行っていらっしゃいます。一昨年(2017年)に芦屋の画廊で個展をされていて、僕も妻と一緒に参加、そして当時の受験仲間も集まって、懐かしく楽しい時間を満喫してきました。


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