大学卒業して就いた仕事

大学は卒業したけれど…(笑)

僕が通っていた「大阪芸術大学」というところは、本当に自由奔放でみんながやりたいこと「だけ」をやっていた大学でした。そもそも授業のほとんどが美術学科だったということもあり、実際に作品を作ること、自己表現をすることが大学の学びでした。

しかも、そんな楽しいことだけをさせてもらえる大学だったのに、僕はあまり授業(実習)には出ないで、バンドをしたり、ミニコミを作ったり、アルバイトしたり…とかもっと他の楽しいことを探して過ごしていたのです。今考えるととんでもない学生です。改めて亡くなった両親に謝罪したいですわん(笑)。

僕が在籍していた「美術学科」は、それこそ「潰しの効かない」学科でして、大学を卒業してまともな会社に就職した人間は、ほとんどいなかった(笑)。本当に美術(僕の場合は彫刻)に打ち込んでいた人間は、卒業しても作品を作りたいから大学に残ったり、アルバイトで食いつないで作品作りを続けている同級生も多かったです。

大学3年生で作った石彫
卒業制作の木彫。よくこんな、完成していない作品で卒業させてくれたものだと感謝

そんな中で、唯一まっとうな仕事に就くというのは教員でした。いわゆる美術の先生ですね。うちも親は大学を卒業したら美術の先生になってくれるものと信じておりました(おかん、ごめんw)。実際に僕も教職課程の授業は取っており、母校に教育実習まで行ったにも関わらず、結局単位が足りずに、教員にはなれなかった。

さらに、大学生活の後半はずっとバンド活動をしておりライブハウスに出演することだけが生き甲斐だったような、とんでもない「すちゃらか」な考え方だったのです。今時の大学生なら、3年生から就活を必死になって頑張るものでしょうけど、僕はその時期、ずっとアマチュアバンドにうつつを抜かしていたのです。

最初に就職したのはレコード屋

さて僕自身大学最後の年になり、年が明けても就職する気がまったくありませんでした。ずっとバンドやってて、この頃はオリジナルの曲を自宅録音していて、ぼんやりと「音楽でメシが食えたらいいなあ」なんて思っていましたが、世の中そんな甘くありません。

卒業が近づいてきても、ずっと夜中のマグドナルドの掃除のアルバイトで食いつないでいた…という情けない生活。

そして、大学を卒業して実家に戻り「やっぱり仕事に就かないとアカンやろなあ…」と仕方なしに、当時みんなが買っていた「就職情報」という雑誌で見つけたのが、レコード屋の店員でした。

卒業してからもずっとバンドを続けるつもりでしたし、いつかはプロになりたい…なんて甘い夢を持っていたので、仕事なんて何でもよかった…というのが正直な気持ち。それならば、音楽好きなんだから音楽に近い現場の仕事。と考えて、レコード屋の店員に正社員として就職したのでした。

世の中そんなに甘くない。

とりあえず、毎日スラックスとワイシャツとネクタイだけはお店の方針で必須だったので、毎日その格好でレコード屋さんの売り場に立っていました。そのレコード屋さんは、大阪・梅田を中心に数店舗分かれていて、それぞれのクラシック・ロック・歌謡曲・ジャズ…といったジャンル別に力を入れている店でした。
僕の勤務先の店舗は、地下街の小さなお店で、そこは日本の音楽をメインに品揃えをしていました。要するに歌謡曲とかニューミージックと言われている分野ですね。

僕自身レコード屋の店員って、自分の好きなレコードをかけて楽しく毎日働けるものだと思っていたのですけど、そこで流れているのは歌謡曲とニューミュージック。当時、髪の毛をショートカットにした松田聖子とか、サザンオールスターズとか、大瀧詠一のロンバケ、オフコース、松山千春などが売れていて、毎日毎日そのあたりの音楽を聴かされていて、正直苦痛でした。

音楽が好きだからこそ、自分の趣味ではないアーティストの音楽を聴くことは、普通の人以上に苦痛だと思うのですよ。ちなみに、この時代にお店に流れていた日本の音楽は今でも大嫌いです(爆)。

3ヶ月でケツを割る。

この時代の日本の音楽は今でも苦手…と書きましたけど、あれから40年近く経つと、怒りも治るというか(笑)、あの頃の音楽で聴けるものは増えています。しかし当時は、本当に仕事中に流れている音楽が嫌で嫌で仕方がなかった。さらにレコード屋の店員というのは、一日中立ちっぱなしの仕事なのである。これが僕には辛かった。帰る頃には足が棒になっていました。

そして就職てから半年後、僕は別の仕事に就こうと、またもや就職情報を買った。そこで探した仕事は、とあるデザインプロダクションが募集していた「デザイナー」という職種。未経験可能と書いてあった。大学時代美術を勉強していたが、デザインはちゃんと学んだことがなかった。ただ、大学時代にミニコミを作ってデザインを担当していた経験があったので、なんとなくできるような気がしていました。

給料は7.5万円と書いてあり、今の給料の半分の金額だったので、思わず目を疑いましたが、まあ未経験だし仕方がない…と自分に言い聞かせ、次の日店長に、会社を辞める旨を伝えました。店長は「デザイナーって大変だぞ、給料安いし、仕事もきついぞ」と忠告してくれたが、当時の僕にとっては、お店をやめてデザイナーになることしか頭にありませんでした。

そして…、次の月からデザイナーとして仕事を開始するのだったけど、まさしく店長が言っていた通りの環境が待ち構えていたのでした。


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