アートディレクターとECサイト
例えば、婦人服の背景はロケなのかセットなのか、ホリゾントなのか。家具の背景には床を作るのか、壁まで作るのか、あるいは押入れを大道具で作ってもらうのか。貴金属や宝石の背景は大理石なのか御影石なのか…。そのあたりも鉛筆で全部ラフを書くのです。1000点すべての商品を。
例えば、婦人服の背景はロケなのかセットなのか、ホリゾントなのか。家具の背景には床を作るのか、壁まで作るのか、あるいは押入れを大道具で作ってもらうのか。貴金属や宝石の背景は大理石なのか御影石なのか…。そのあたりも鉛筆で全部ラフを書くのです。1000点すべての商品を。
その仕事というのは大丸百貨店の通販部門の売上強化のために、新しいメンバーを集めて取り組むということで、プロジェクトとしては3つ。年に4回発行されるカタログ、毎月発行する新聞折込チラシ、請求書に同梱するチラシ。チラシと云っても、B1の巨大な印刷物であります。それぞれにデザイナーとコピーライターが配属されます。
結局1年半くらいで会社は倒産。すべて社長としての僕の責任だと思います。そして会社が倒産すると、襲ってくるのはお金の取り立て。そのお金を払えるくらいなら会社を潰すことはしないので、このあと借金まみれになる人生のスタートだったのでしょう
これまで南森町のデザイン事務所で教わったことしか知らない僕に、師匠は「森川くんの仕事は版下屋だよ。デザイナーはデザインをしなさい」と言われて、ディレクションを教えてもらいました。確かにこれまでの仕事は版下を作ることがゴールだったので、なんだか目から鱗の状態。その日から僕の仕事道具は、ペーパーセメントと写植と版下台紙ではなくなり、レイアウトペーパーとシャープペンシルだけになりました
キツかった…というよりも、給料が安すぎ。朝9時から仕事を開始して、終わるのは終電近くの11時くらい。1日14時間。そして給料は7万5千円。たしか当時は土曜日も仕事があったと思うので、1ヶ月で350時間なので時給換算すると214円。いくら当時の物価が今よりも安いとはいえ時給214円って、最低のアルバイト以下ですやん。