やる気がしねえぞ、バーロー

世の中がどよーんとしている

コロナウィルスについては、このブログでもずっと取り上げてきて、以前から「伝染病の怖さ」もさることながら、その怖さが引き起こす人間の心の闇みたいなものが蔓延するんじゃないか…って考えていました。

学校閉鎖、自宅勤務、緊急非常事態、そしてマスクやトイレットペーパーの転売、スーパーに行くと備蓄品の品切れ、果ては納豆の品切れ…などなど。そこには複雑な人の感情が、品切れになった陳列棚に残されているような気がします。

今朝「雨宮処凛」さんのコラム「新型コロナウイルスと「非国民」バッシング。非常時には格差がむき出しになる」を読んでいて、ますます確信しました。「行き過ぎた防衛、排除が大手を振っている気がしてならないのだ。誰かを吊るし上げる口実を常に探しているようなこの国の空気が、怖い。」という恐怖。

そんななか、以前のブログ「笑うウィルス対策」や「コロナウィルス:ピンチはチャンス」でも書きましたけど、こんな時だからいつもよりも元気に笑っていたいもの…というのが僕の考え。だが、そんなユーモアが人によっては笑えない、シャレにならん、不謹慎と言われてしまう傾向に変わってきているような気がします。


以前もブログに貼った動画↑。この動画へのコメントで怒り狂っている方がいる。それもマスクが買いに行けない高齢者はどうなのか、とか(高齢者は外出しないからマスクいらんやろがい)、感染者や感染で亡くなった遺族はどう思うか…とか(そんなもん他人が言うべきことか)。いわゆる不謹慎に対する吊るし上げ。

なのだが、許せないのは最後のひとこと「災害時にパロディ映像でお金を稼ぐのは、転売屋よりひどいね」だってよ。それがどれだけ稼いでいるとか知っているのか?とか思うし、結局は他人が稼ぐことが妬ましいという感情が、コメントを書かせたのでしょう。

僕はクリエイターなので、この動画のクオリティやかかった工数(いわゆる手間とか時間)がどれくらいのものか想像がつきます。「誰かが笑ってくれるかも」と思って必死に時間をかけて作ったのでしょう。それは、国中が危機的な状況になるから、少しでも笑いで癒されればと思ったに違いない(もともとそれが不謹慎と言われればそれまでですが)。

なんだか、そのことが冒頭の「誰かを吊るし上げる口実を常に探しているようなこの国の空気」に近いのだと思っています。

不謹慎力

そんな中(これも賛否両論がありますが)、モギケン(茂木健一郎)がこんなコメントをしています「茂木氏、今こそ忌野清志郎さんの“不謹慎力”必要」。僕にはそれがとてもよく理解できた。

清志郎が原子力発電に「?」と思って歌ったサマータイムブルースをきっかけに、曰く「たかが替え歌ごときに目くじら立てやがって」という怒り。

でも、清志郎の「あこがれの北朝鮮」や「ヘリコプター」や「総理大臣」とか、本当にムカついていることを笑い飛ばせる不謹慎なパワーがロックなのだ…と。もっといえばパンクだし、それが俺たちがクリエイティブしている原点なのだと思う訳です。


モギケンの記事の最後に書いてある「いろいろ良識が説かれて(良識は大切だけれども)自粛が広がる今だからこそ、敢えて、不謹慎力の大切さを今朝くらいはふりかえってみたい」というコメント。

自粛が広がる今だから、不謹慎力が有効だと。つまり僕が考えた「コロナウィルスなんて笑ってぶっ飛ばそうぜ」と同じ考えかなと思いました。

この不謹慎力に、何も自分の手を動かさないで「シャレにならん、けしからん」と文句を言うのは誰でもできることで、正しいことを言っている(無意味に拡散している)おまえも、不安を煽っているだけだぜ、と言ってあげたい。

やる気がしねえ

あと、これまで感染に対する免疫力とか、自己防衛のためのドテラのエッセンシャルオイルとか…色々書いてきて、それをちゃんと咀嚼してもらっていれば、こんな風に納豆を買い占めることもなかっただろうし、僕たちみたいな植物の力(すなわちエッセンシャルオイル)での予防を説き、ミトコンドリアのレベルから説明してきたのに、同じようなことを言われるのは心外。

もう、まじでやる気がしねえんだよ。バーロー。

なので、今日は寝ます。寝て元気になれば明日は、素敵な日になるでしょう。まあ、そんなわけで今夜はたっぷり清志郎を見て元気だします(さすがにアルカイダースはやりすぎだけどね、笑)


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