細野観光を観てきました

本当は先週行くはずだった

細野晴臣氏のデビュー50周年(なのかな?)記念の展覧会「細野観光」を観に六本木ヒルズ森タワーまで行ってきました。実は先週、映画「イエスタデイ」を観る前に、この展覧会を見ようと思っていたのですが、なんと60分待ちだったので諦めたのです(ちなみに映画を観終わった段階では110分待ちになっていました)

そして「細野観光」は11月4日までの公開なので、焦って11月1日・金曜日に再び六本木ヒルズに行ってきました。昼間は僕も妻も用事があったのでヒルズに着いたのは、夕方の18時でした。今回は待ち時間「5分」で、あっさりチケットを購入し森タワーの30階まで。

今回の展覧会は、細野さんがデビューした1969年から現在までの50年を一気に駆け抜ける展覧会。じっくり観てきたので、このブログでもじっくりレポートしますね。

まずは入り口すぐの泰安洋行のレコードジャケットのディスプレイで記念撮影。そして外を観ると、東京タワーが見える大好きな港区の夜景。入ってすぐに広いスペースに細野さんの楽器がタワーのようにディスプレイされていました。弾いているのを見たことがないアイバニーズのベースや、オベーションのアダマス仕様の珍しいベースが一番上にありました。

さらに入り口には、細野さんが沖縄やNYなどを旅行した際の地図やガイドブックや、メモが展示。こんな私的なメモを展示してええんか? と思いましたが、ニヤニヤしながら拝見しました。

まずは幼少期の細野少年を満喫

この展覧会では、細野さんを幾つかの年代に分けて、いろいろなものが展示されています。まずは1947年から1969年までの幼少期から大学生のデビュー前までの展示。個人的にはこれが一番面白かった。

細野さんの子供時代も可愛いのですが、別に今でもその辺にいるガキと同じなので、あまり愛着を持って見れませんが(笑)、興味深いのは、細野さんのお爺さんである細野正文さんのこと。お爺さんは、あの「タイタニック」に乗っていたそうです。そしてそのタイタニックから生還した唯一の日本人。しかし、当時お爺さんが無理やりボートに乗り込んできたという証言で「卑しい日本人」と特定されてしまったようです。ですが、その後、正文さんの証言から乗り込んだボートが違っていたことが明らかになり、汚名を晴らすことができたそうです。

なんだかいきなり、すごいエピソードで圧倒されてしまう展覧会なのでした。しかし、それよりもすごかったのは、細野少年の幼少期のオモチャたち。

僕も、こおゆうカルタ持ってました。持っていたのはアトムとエイトマン。いまでもアトムが撃たれている絵のある「ゆだんたいてきでんきじゅう」というのを覚えていますから(笑)。

そして展示パネルに、このような↓イラストがほっこりさせてくれます(笑)

観ていくうちに細野晴臣が小学生から中学生、そして高校生になっていくのをニヤニヤして観ることはできます。高校時代のコレクションで喫茶店のマッチがあるのは、僕と同じだし(きっと高校時代からタバコ吸っていたんでしょうね…笑)、いろいろと共通するところがあるなあ…と思って観ていたのですが、驚いたのは高校時代のノート。

そこには勉強をしている学生のノートではなく、落書き(というか漫画)ばかりしていた細野くんが見えてくるのです。これは全く僕と同じ。そして白土三平が好きなところも同じ。

1969年にデビューした細野さん

そして高校生、大学生になって音楽活動を本格化する細野さん。その中でちょっとびっくりしたのは、カレッジフォークをやっている細野さん。みんなこおゆう道を歩むのですね(笑)

そして、大瀧詠一との出会いからエープリールフール。そしてはっぴいえんど。このあたりのことは多くの資料があるので、今回は割愛。少なくとも僕にとって日本のロックアルバムのベスト10を選ぶ権利があるとすれば、必ずはっぴいえんどの「街風ろまん」はランクインします。

展覧会では、ちょっと時系列的にはずれているかもしれないのですが、細野さんが使っていた楽器類が多く掲載されます。まずははっぴいえんどで使っていたであろう、フェンダーのジャズベース。きっとこれで中津川フォークジャンボリーで「12月の雨の日」を演奏していたのかと思うと、心が震えます。

そして展示がこのあたりから、様子が変わってくる。単なるミュージシャンならば、所有していないであろう楽器の数々。特に「キター!」と感動したのが、テキサス・インスツルメンツの「スピーク&スペル」。知ってますか?この幼児向けの教育玩具が音楽に使われていることを。

代表的なのはクラフトワークの「コンピューター・ワールド」ですよね。ちなみに僕も1982年に「Good-Bye」という曲で使っています。これを細野さんも使っていた(というか遊んでいた)のが嬉しい。

本当にすごかったのは、細野さんのノート

実はこの展示会で一番すごかったのは、このあたりから細野さんが書いていたノート。このあたりを撮影したかったのだけど、手書きのノートだけは撮影禁止で残念。授業中(?)も自宅でも思っていたことをノートに書きまくるのは、僕と同じでちょっと嬉しかったです。さらにマンガもノートに書いているのは僕と同じで、驚き。

今のようにパソコンもインターネットもない時代でも充実していた細野さんなんだと改めて思いました。

そんな細野さんが、ギターやベースだけじゃなく電子楽器の数々を手に入れていくのもよくわかる。ソロアルバムからYMO、そしてその後の音楽制作も偶然ではなく必然だったのだと関心しました。

とにかく展示の数が多くて、それぞれに僕の個人的な記憶に刺さるものばかり、特に大好きだった日本映画「宵待草」の新聞広告(沢田研二の炎の肖像との二本立て)は、僕の高校時代、映画少年だった頃に西宮国際シネマで観たことがあるので、ちょっと感動(ちなみに宵待草の音楽をティンパンが担当したそうです)

パネルに展示されたレコードやCD以外にも、楽器、メモ、ノートまで全部公開され、さらに細野さんの書棚まで公開。細野文庫と名付けられた展示には、音楽関係の図書だけじゃなくて、小説や、デザインや、オカルトや、哲学や、映画の書籍もたっぷり。ここでも僕が所有している(所有していた)本と被って、ニヤニヤ。

途中で「東京の音楽」というキーワードが出てくるのですが、2000年に東京に出てきた僕には、なんだかとてもよくわかる。関西に居た頃は、東京ってあまりにも巨大すぎて関西の時のように、気の合う仲間にはなかなか出会えないような気がしていました。だからきっと東京は居心地が悪いのではないかと、関西に居た20年くらいの間そう思っていたのですが、それは違いました。

地下鉄の乗り換えが、大阪に住んで居た頃のようにスムースにできるようになった頃、僕はどんどん東京の街が好きになった。関西から引っ越してきたばかりは、国分寺という田舎に引っ込んでいましたが、そこから5年経って港区海岸、麻布十番、白金、初台と、いわゆる都内で暮らすようになると、東京の全体像が見えてくる。つくづく、もっと早くくればよかったと思ったりします。

そうそう、ロックバーをやっている頃に白金に住んでいたのですが、ここは細野さんも住んでいることを知っていたので、散歩している時に細野さんに合わないかなあ…なんて思っていました。

あ、それと東京で2つめの会社に勤務した時の、年下のウェブディレクターが大学時代に細野さんの娘さんと交際していたらしく、彼女の家(細野宅)に遊びにいって、細野さんに挨拶したら、なんだか機嫌が悪かったと言ってたのを思い出します(笑)。地方にいるときは、メディアでしかしらない存在が、身近に感じたものです。

元気をもらった展覧会

僕より11歳年上の細野さんが、今も現役で、若い頃から興味のあることばかりをしてきたのは、羨ましく思う反面、こんな人生の先輩もいるのだと思うと、残りの人生もまだまだ楽しみたいと思った森川でした。

展覧会としては、4年前に観たデヴィッドボウイの「David Bowie is」よりも面白かったというか、充実していたように思いました。

最後に、パネルに張られていた「ほそのくん」の名言から、こちらを最後に貼っておきます。全部の写真を掲載できずにすみません。


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