病院までを必死で走った
「早く、早く」「急げ、急げ」と僕と弟は名神高速道路の脇道を必死になって走った。その電話は朝の5時くらいにかかってきた。吹田市民病院に詰めていた妹からだった。まだ朝早いのでバスが来ない。自転車は父と妹が病院に乗って行ったので、僕たちは走るしかなかった。8月15日という、お盆休みのど真ん中だったので、走る車も少なかった。
病院に到着して母の個室に飛び込むと、いつも以上に機会がたくさん運び込まれていて、2人のナースが忙しそうに動いていた。父と妹は部屋の端の椅子に心配そうな顔をして座っていた。
10分おきくらいにドクターがやってきて、心電図やらなんかわからない機械の確認をしていた。母は口に酸素マスクのようなものを取り付けられて、あらゆる場所からチューブが埋め込まれていた。
「どうなんだよ…」と妹に聞くと「わからないけど、家族の方は全員呼んでくださいって言われたのよ」と言っていた。大きく呼吸している母の胸が上下に動いていて、心電図がピッピッ…と波形を描いている。映画やテレビで見るようなシーンが、まさに目の前で広がっていて、なんだか白昼夢を見ているようだった。
母の名前を呼んだ父
徐々にナースの動きが慌ただしくなり、ひとりがドクターを呼びに行くように支持した。僕たち家族にも緊張が走る。ドクターは走ってやってきて母の瞳を開き、マスクを外して僕たち家族を呼んだ。
「もう最後かも知れません、お母様に声をかけてあげてください」と言われ、ベッドの周りに集まった4人は、母にしがみつき、手を握り「お母さん!」「おかあさーん!」と叫んだ。
最後の瞬間、母は体を大きく動かし、まるで起き上がるかのように目を大きく見開いて腕を前に伸ばした。「まだ死なない、生きたい!」と、その肉体はシグナルを送っていた。そしてぐったりと動かなくなると、心電図が「ピー」となり続け、波形を描くのをやめた。
「お母さん!!!」と全員が叫んだ。いつもは子供達と同じように、妻のことを「お母さん」と呼んでいる父が、名前で母を呼んで泣き崩れた。
いつでも空を見れば母に会える
「9時30分、ご臨終です。よくがんばりました」とドクターが告げた。弟も妹も狂ったように大声で泣いていた。ナースは「いまから、綺麗にしますから、少し待っててくださいね」と微笑んだ。ドクターとナースの心使いを嬉しく感じた。
僕たち4人は、そのまま階段を登って吹田市民病院の屋上に出た。そしてバラバラになって空に向かって泣いた。決して泣くようなことがない父親が大声をあげて泣いているのを見て、僕はそれの方が悲しかったような記憶がある。
僕も一瞬大声で泣いたものの、なぜか放心状態のような状態になっていて、ずっと空を見上げていた。
その時、イギーポップのトゥナイトという曲が頭の中で鳴っていた。この曲は、このブログのタイトルにもなっているLust for Lifeに収録されているA面の最後の曲。目の前で死んでいく女性(娘? or妻?)を目にしたイギーが歌う。
「みるまに血の気が引いて青くなっていった。
もう、これは、死ぬ、とはっきり分った。
ぼくは彼女のベッドの近くにひざをついて、
こんなに若くて死んでゆく彼女にこう語りかけた・・・・・・。」
いい夜だ、今夜は
心配事も問題もなにもない夜だ
だれもガサつかない
だれもおしゃべりしない
だれも考えあぐねない
だれもどこへも行かない
今夜は世界中がいい人だ
ぼくは一生彼女を愛しぬく
この想いだけがぼくを貫いていて
ひ弱な雑念は消えている
今夜からぼくは彼女を空(そら)に見ることになる
そして空(そら)ならいつでもどこにでもある
いつでもどこにでも彼女を見れるLust for Life : Tonightライナーノーツより引用 訳詞:岩谷宏
この曲は、完全にデヴィッドボウイのプロデュース。ボーカル自体がボウイが歌っているのかイギーなのかわからないくらい、声が似ている。後半のコーラスでは、まるで力一杯歌っているイギーの背中を、拳でどんどん叩きながらボウイも大声を出しているように聞こえてくる。
ずっと好きだった曲なので、訳詞込みで暗記していた。僕は病院の屋上にいる間、ずっとこの曲がヘビロテしていた。
母はもういない。この地上から、僕たちが住んでいる世界からいなくなってしまった。けど、今日からぼくは母を空に見ることになる。そして空ならいつでもどこにでもある。いつでもどこにでも母に会える。ということだ。
1989年の8月15日、僕はとても大切なものを失った。でもその日から、何かあれば空を見上げている。そして空に向かって話しかけている。30年経った今でも。