光の中のデヴィッド・ボウイ

初めて観た外タレがボウイでした

大学生になってから、所謂「外タレ」と呼ばれる海外のミュージシャンのコンサートに足を運ぶようになりました。その中で僕が心からリスペクトするデヴィッド・ボウイが来日するという情報が入り、なんとかそのコンサートに行きたいと考えていました。

当時の僕は大学1年生で、一浪して大学に入学して、それこそ毎日ロックを聞いている大学生。特にボウイは中学時代に、Tレックスかボウイか、どっちのLPレコードを買おうか迷った歴史があり、Tレックスを選んだ僕には「遅れてきたボウイファン」なのでした。

大学に入ってから、それこそスペースオディティ…世界を売った男…ハンキードリー…ジギースターダスト…アラジンセイン…ピンナップス…ダイヤモンドの犬…ヤングアメリカン…ステイション・トゥ・ステイション…ロウ…ヒーローズ…と時系列通りにレコードを買い、訳詞が載っていないライナーノーツでは、辞書を調べながらボウイが何を歌っているのかを知りたかった時代。

そんな僕がボウイを初めて観たのが、1978年12月7日の大阪厚生年金会館大ホール。このツアーの音源はレコード「デビットボウイ・ステージ」の通りです。

前から7番目の席でボウイを観た

当時のコンサートは、呼び屋と言われる興行主(この時はウドー音楽事務所)がチケットを一元管理しており、チケットはプレイガイドで発売。今のように電話予約とかネット予約のなかった時代。チケット発売当日には、みんな早起きしてプレイガイドや、直接ウドー大阪支社に並ぶのが一般的な入手方法。

そのため、何日も前からウドーの前に並んだものです(プレイガイドは大抵地下街にあるので何日も前から並べない)。そして当時僕のガールフレンドが女子大に通っており、その友達がいわゆる「外タレのおっかけ系のロック少女」。あえて死語で言うならば「グルーピー」と言われる人たちで、おかげさまで僕は前から7番目のど真ん中の席でコンサートを見ることができました。

ステージは2部構成

このコンサートは2部構成になっていて、別名「Low And Heroes Tour」と言われており、ボウイがアメリカでの音楽制作事情に疲れて、ヨーロッパに拠点を移した「ロウ」。そして「ヒーローズ」。この時期のボウイは音楽制作をドイツのベルリンで行なっており、ツアーはヒーローズがリリースされた後に行われました。

2部構成の前半は、ベルリンで音楽制作をするボウイのリアルな「現在」。オープニングはロウに収録されている「ワルシャワ」でスタート。厳格で切望的な音圧が会場を覆い尽くし(しかもほぼ暗転の照明のまま演奏)、ワルシャワが終わると、ステージに明かりが点り「ヒーローズ」を演奏します。

絶望的な音楽の直後にボウイは、ヒーローズで「俺たちだって英雄になれる、たった1日だけど」と希望を灯してくれました。

2部はジギースターダストに落とし前をつける

1部が終わり、2部のスタートのオープニングはなんと「ファイブイヤーズ」そう、ボウイが本格的に作ったコンセプチュアルアルバムであり、雑誌ローリングストーンが選んだ1970年代で最も重要なアルバム「ジギースターダスト」A面の一曲目。

そこから「ソウルラヴ」…そしてB面の「スター」「君の意思のままに」「ジギースターダスト」に続きます。当時の僕は、ほぼ毎日ジギースターダストのLPを聞いていたので、このメドレーはまるで夢を見ているようにボウイから、続けざまに贈り物をもらった気になりました。

そして、アメリカ時代の曲は「フェイム」だけにとどめ、いよいよあの曲のイントロが流れます。そう「ステイション・トゥ・ステイション」。ボウイが堕落してアメリカでコカイン漬けになっている日常から「やっぱり俺は音楽をやる!ヨーロッパに帰る」と宣言した曲。

イントロでは、トッドラングレン’sユートピアのアンディ・パウエルのシンセサイザー、そして、このツアーで世界中の脚光を浴び、後にトーキングヘッズツアー、そしてキングクリムソンに参加するエイドリアン・ブリューの壮絶なインプロビセーション。

そして、その中にゆっくりと歌い始めるボウイ。すげーかっこいい。

光の中のデヴィッド・ボウイ

ちなみに、ガールフレンドの友達のグルーピー情報では、初日のライブのあとメンバーは四ツ橋の「パームス」というディスコで遊び、エイドリアン・ブリューはご機嫌でお持ち帰りをしたそうです。そういえば、このコンサートのオープニングのワルシャワで、ステージ上のメンバーが厳粛な雰囲気で演奏していたのに、エイドリアン・ブリューだけが客席に手を降ってニヤニヤしてました(笑)。

しかし、演奏が始めれば、もうそこはエイドリアン・ブリューの独壇場。この時期のニューウェーブなロック少年、ロックギタリストはみんな心臓を鷲掴みにされたパフォーマンス。

そして、この時も照明は暗転のまま。そして曲は進み、後半に差し掛かります。以下は「station to station」の歌詞の引用の一部。

The return of the Thin White Duke
Throwing darts in lovers’ eyes

Here are we, one magical moment
Such is the stuff, from where dreams are woven

Bending sound, dredging the ocean
Lost in my circle

Here am I, flashing no color
Tall in this room overlooking the ocean

Here are we, one magical movement
From Kether to Malkuth
There are, you drive like a demon
From station to station

The return of the Thin White Duke
Throwing darts in lovers’ eyes
The return of the Thin White Duke
Throwing darts in lovers’ eyes
The return of the Thin White Duke
Making sure white stains

Once there were mountains on mountains
And once there were sun birds to soar with
And once I could never be down
Got to keep searching and searching
And oh, what will I be believing
And who will connect me with love?
Wonder who, wonder who, wonder when
Have you sought fortune, evasive and shy?
Drink to the men who protect you and I
Drink, drink, drain your glass, raise your glass high

It’s not the side-effects of the cocaine
I’m thinking that it must be love
It’s too late to be grateful
It’s too late to be late again
It’s too late to be hateful
The European canon is near

そう、後半の「 Once there were mountains on mountains」あたりから、暗転だったステージに明かりが点り、「これはコカインでラリってる場合じゃねえぜ!」と叫ぶあたりで、ステージの上の照明にすべて明かりが灯るのです!

ステージの背面にびっしり並べられた大きな蛍光灯に全部火が灯る。眩しい。眩しい。その中で歌うボウイ。眩しい。眩しい。眩しい。演奏するメンバー。眩しい。眩しい。眩しい。眩しい。

これが僕にとってのロックの原体験かも知れません。この光の中で歌っているボウイこそが、僕にとってのロックなのだと。

※ちなみにこのステージ照明のアイデアは、数年後のJAPANのステージでも似たアイデア(パクった?)があります

※さらにちなみに、歌う際に足を前後に置くポーズは、ボウイが1973年の日本公演の際に歌舞伎を見て編み出したものらしいです。そしてこの足さばきを完璧に真似しているのが吉川晃司さんですね(ディスってませんよw)

この時のライブで東京公演のNHKホールのものはNHKの「ヤングミュージックショー」というテレビ番組でもオンエアされ、このオンエアを録画したくてビデオデッキを買おうとしたのですが、当時あまりにも高額で買えなかったのが、わたくしでございます(笑)

この番組内で訳詞が出てきますが、これは当時、雑誌ロッキングオンでボウイに真剣に向かっておられた岩谷宏さんの翻訳で、僕にとっては最高の組み合わせでした。


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