ヒア・カム・ザ・ウォーム・ジェッツ/イーノ(6/31)
アメリカのブルースをイギリスのミュージシャンたちの解釈によって、ジミー・ペイジやクラプトンやローリング・ストーンズが存在したように、イーノにとってのルーツは、ジョン・ケージでありマルセル・デュシャンだったのかもしれない。
アメリカのブルースをイギリスのミュージシャンたちの解釈によって、ジミー・ペイジやクラプトンやローリング・ストーンズが存在したように、イーノにとってのルーツは、ジョン・ケージでありマルセル・デュシャンだったのかもしれない。
オープニングは、もう何度もラジオで聞き慣れた「メタル・グウル」そして、次の曲は、アコースティックギターで始まる「ミスティックレディ」…。そして次もミドルテンポのロック…。あれ?…と思った中学二年生の僕。
このアルバム以降、シドは目立った活動は行わず2006年に他界する。残されたピンク・フロイドのメンバーは、1975年にシドバットに捧げたコンセプトアルバム「炎〜あなたがここにいてほしい」をリリースする。
大学生の僕がリアルタイムで発売されたばかりのアルバムを聴いたのは「人間解体 / The Man Machine」でした。そしてボウイは「ヒーローズ」をリリース。そのヒーローズのB面の最初に収録されているのが「V2シュナイダー」
妻と結婚してからは、まだエアロスミス、クラフトワーク、ポールマッカートニーくらいしか、外タレのコンサートには足を運んでいませんが、残りの人生でもっともっとコンサートを観ておきたいです。
舞台は2973年の横浜。その1973年には何があったのか? 今回の小説は、その1973年の5月から11月の中頃までの6ヵ月半の出来事なので、1973年の出来事から小説に関係する部分をいくつかピックアップしてみます
もしかしたらオリジナルTシャツって商売になるかも」…なんて話をしながら帰路に付いたのですが、自分でデザインしてTシャツを作ることはよいのですが、商売にするとなると著作権とかの問題をクリアするのが大変そうだな…と思っています。もちろん自分だけで楽しむのであれば、問題はなさげなんですけどね。
僕がこのブログを開始した理由は、ここにも書きましたけど、60歳(還暦)になり、残り人生のほうが短いことが明確な事実。おじいさんな僕だけど、残りの人生も背中を丸めてブツブツ言いながら過ごすんじゃなくて「がつがつ生きていきたい」と思っているのです。Last for Lifeじゃなくて Lust for Life。
後半の「 Once there were mountains on mountains」あたりから、暗転だったステージに明かりが点り、「これはコカインでラリってる場合じゃねえぜ!」と叫ぶあたりで、ステージの上の照明にすべて明かりが灯るのです!
1973年4月からスタートした僕の中学三年生は、特別な年でした。その理由は、僕は中学三年生でガールフレンドが居たのです。彼女は隣のクラスで背が高く(もしかしたら僕よりも大きかったかも)、部活をやっている僕をみて自分は運動ができないのに、マネージャとして入部した女子。
そんな僕が音楽に目覚め始めたのは、小学校6年から。少しだけ早く僕はラジオを聴く子供になっていて、そこでかかっている洋楽に心を惹かれていきました。かった順番は覚えていないけど、ドーンの「ノックは3回」、中学校1年の夏休みに見た「小さな恋のメロディ」。