勝手にしやがれ!! / セックス・ピストルズ(9/31)

同年代のロック好きなら欠かせない一枚

さて、いよいよ登場。セックス・ピストルズの「勝手にしやがれ!!」です。原題は「Never Mind the Bollocks」(ちなみに‘Bollocks’とはキンタマという意味…笑)発売日はwikiぺディアによると1977年の10月28日。僕が浪人時代に受験のため毎週デッサンの授業を受けて、梅田の「キューピッド」というロック喫茶でアルバイトしていた頃です。

確かこの当時、冷蔵庫の裏のゴキブリのようにドンドン出てきたパンクバンドの中では、本命中の本命でありながら、リリースが遅かったような気がします。ロンドンパンク・ムーブメントの中では、ど真ん中に位置してたバンドなのに、ダムドやザ・クラッシュのアルバムの方が早かった記憶があります。

とはいえ、1977年は本当にパンク元年で、ダムドの1stが2月、そこからストラングラーズ、クラッシュ…と続き、ピストルズでとどめを刺されたような感じですかね。

パンクロック・ムーブメントは、どちらかというと音源よりもロック雑誌に掲載されている写真などの情報の方が先行していましたよね。この当時の僕は、ろくに音源も聴いていないのに、ロンドンパンクに憧れ「これからはパンクだ!」と熱い思い込みがありました。

そして、ロンドンパンクの音源の主流は「シングルレコード」で、なかなか日本には輸入盤としてシングルが入ってこなかった。このアルバムがリリースされるまで、「アナーキー・イン・ザ・U.K.」「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」「プリティ・ヴェイカント」という代表曲がシングルでリリースされていたのですが、なかなか日本のラジオ局ではオンエアされなかったですよね。

十代の僕にパンクは希望だった

この当時のパンクロックのイメージは、フリートウッドマックやイースグルやピーターフランプトンなどのメガセールスを記録する産業化したロックに対して、原点回帰で、ギターさえ弾ければバンドができる。いや、楽器なんて弾けなくてもロックがやりたいのならバンドとしてスタートできる…というイメージがあり。多くのパンクバンドは「へたくそ」「乱暴者」「ならず者」という印象が強かった。そして、それは当時の十代だった僕に『俺にもバンドができるかも』と思わせてくれたムーブメントでした。

だから、当時の若者はそれまでのハードロックやプログレに対するテーゼとして、長い髪を切り、ボロボロのTシャツとジーンズというスタイルが、これまでのロックに対する反抗の証だったのです。

何よりも18歳から19歳になった僕にとって、ピストルズは希望でした。それはまだ音楽もちゃんと聴いていないのに、彼らの生き様やファッションに激しく同化していったのです。

そして、1977年の秋頃からバイトをしていたロック喫茶「キューピッド」で彼らの映像が流されるようになりました(キューピッドというロック喫茶は海外から輸入した(不法にw)ロックビデオをずっと流している店でした)。そこで、ピストルズの映像に出会うのです。もう、これは衝撃以外の何物でもありませんでした。…が、しかし、まだアルバムがリリースされておらず、視覚的には圧倒されていましたが、果たして本当に満足できるロックバンドなのか半信半疑でした。

そして1977年の暮れ、友達の谷くんがセックス・ピストルズのファーストアルバム「勝手にしやがれ!!」を購入します。彼のアパートでピストルズのファーストアルバムを聞かせてもらい、あまりの衝撃に「カセットに録音しようか」という彼の誘いを断って、その足で日本版のピストルズのファーストアルバムを買いました。

そして購入したピストルズのファーストアルバムは最高でした。それもそのはず、プロデューサーはロキシー・ミュージック、サディスティック・ミカ・バンドのプロデューサーのクリス・トーマス。スティーブ・ジョーンズのギターをしつこいくらいにオーバーダビングして、あの分厚いディストーションサウンドを作り上げたです。

ちなみにクリス・トーマスは、この当時ロンドン公演を終えたミカバンドのミカと結婚していて、トーマス夫人(ミカ)と、ピストルズのメンバーと一緒にいたところを極右団体に襲撃されたそうです。

セックス・ピストルズはグレン・マトロックのバンド

そして、当時は気がつかなかったベーシストのグレン・マトロックの才能。アルバムがリリースされた当時はピストルズのベーシストはシド・ヴィシャスとして紹介されていましたが、このアルバムでは、グレン・マトロックが殆どの曲を書き、さらにシドのベースがあまりにも下手だったために、スティーブ・ジョーンズが代わりにベースを弾いているという。

この動画(↓)はピストルズの解散の要因になったアメリカツアーのものですが、あまりの「ド下手」なシドのベースに情けないを通り越して、シドが可哀想に見えてきます。

さらに言えば多くのパンクロック信者の中に、シド・ビシャスファンが多いことも「なんだかなー」というのが、僕の印象。

もしも、当時ジョニー・ロットン(あるいはマルコム・マクラーレン)がグレン・マトロックをクビにしなければ。ピストルズはレッド・ツェッペリンのような偉大なバンドになっていたのかもしれません(グレン自身は「僕が残っていても、あとせいぜい1枚くらいのアルバムしか残せなかっただろうけどね」なんて言ってますが)。

ちなみに、グレン・マトロックは普通の常識人で向上心の強い音楽家だったようで、さらに後釜のノンミュージシャンだったシド・ビシャスの面倒まで見ていたという「いいひと」なんですよね。

パンクロックバンド最大の徒花

でもまあ、でもセックス・ピストルズというバンドそのものが、ジョニー・ロットンとマルコム・マクラーレンの金儲けの道具であったことで、そこに音楽性なるものは、ジョニーとマルコムにとって、どうでもよかったのでしょう。

グレンをクビにして、演奏能力ゼロの可愛い男の子をベースにして、慣れないアメリカでクズのような売女(ナンシー)にまとわりつかれ、ドラッグにしか解決法を見つけられなかった可哀想なシド。空中分解後のシドの死亡もセックス・ピストルズらしい予定調和かもしれない…というパンクロック最大の徒花。これがたった一枚しかアルバムを残せなかったピストルズの運命。

近年再結成されたピストルズのライブでは、オリジナルメンバーのグレン・マトロックがベースを弾いていますが、ここでも彼の実力がわかりますよね。グレン・マトロック、スティーブジョーンズ、ポールックックは、実力のあるミュージシャンであったということ。そして、パフォーマーとしては他に類を見ない才能を持ったジョン・ライドンという組み合わせは、おっさんになっても輝いているように思います。むしろ、これが「バンド」としてのセックス・ピストルズで、スキャンダラスな現象としてのピストルズではない。

ただ、そのスキャンダルな現象を追い求めているオーディエンスも、ちょっぴり虚しい。むろん、僕もそのひとりですが(笑)。


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