恒例の芸大新年会は水餃子で
入籍して3年、妻と交際して10年、東京に住んで20年…年を重ねるごとに、大学時代の友人と再会することがあり、嬉しい限りです。特に僕が卒業した大学は「大阪芸術大学」という学校で、東京から遥か遠く離れており、やはり卒業生の多くは関西在住が多いのです。
入籍して3年、妻と交際して10年、東京に住んで20年…年を重ねるごとに、大学時代の友人と再会することがあり、嬉しい限りです。特に僕が卒業した大学は「大阪芸術大学」という学校で、東京から遥か遠く離れており、やはり卒業生の多くは関西在住が多いのです。
バンド活動としては短い期間でした。やはりひとりだけ社会人で残りは学生…というのは時間の配分が難しい。結局1年ちょっとで解散したのですが、この期間で僕が作品を作り続けたことは、さらに後のバンドにも大きな影響を与えた期間でした。
僕が在籍していた「美術学科」は、それこそ「潰しの効かない」学科でして、大学を卒業してまともな会社に就職した人間は、ほとんどいなかった(笑)。本当に美術(僕の場合は彫刻)に打ち込んでいた人間は、卒業しても作品を作りたいから大学に残ったり、アルバイトで食いつないで作品作りを続けている同級生も多かったです。
ライブハウス出演や、他の大学の学園祭などにも出演し、この年は64回も僕たちはライブを行いました。そして1年前、谷くんが卒業したらどうしよう…という不安と同じものがエンゼルアワーを襲います。それは僕たち自身が卒業してしまうのです。
おかげさまで…というか、全力投入したからか、オーディションライブは合格で、これからバハマのハコバンとして毎月出演することが決まりました。さらに嬉しいことに、僕らを気に入ったバハマのオーナー(姉さん)が、通常バンドよりもチャージバックが100円高い「土日バンド」に指定してくれたのです。嬉しかったなあ…。
まあ「レコーディング」というのは大げさですが(だってレコードを作るわけじゃないので)、高品質なデモテープを作れるというわけです。さっそくツテやらコネやらを使って、彼のスタジオでデモテープを作ることになりました。彼の名前は「うーさん」と言います。
「バンドやろうぜ」と言われて「おう!やろうぜ」と言ったものの、僕自身、中学時代にはフォークギターを持っていて、そこそこにギターは弾けますが、手元に楽器が何もなかったのです。「じゃ、今から楽器買いにいくか」ということになり、なんだかわけもわからないまま、その足で楽器屋に行き、進められるままにYAMAHAのCS30というシンセを買ったのです。
芝居の本番では、この横12メートルの絵がクレーンで上に上がり、夕方から開演した公演で、テントの外が丸見えになり、そこにイントレで三段組した舞台に白い布が被せられ、さらに三本のマストの帆があがり、そこに炎と海の映像がプロジェクタ3台で投影するという、ドラマチックなクライマックス。
デッサンというのは、小手先のテクニックではなく「モノを構造的に見る行為なのだ」ということを徹底的に教え込まれました。いま目の前で見えているものを、きちんと構造化する…ってのは、本当にトレーニングする以外のなにものでもなく、高屋先生も「ちゃんと見る目があれば、デッサンは誰でもできる」とおっしゃってくれていました。