茨木のドブ川に落ちた女の子

一番古い記憶を思い出してみた

自分にとって一番古い記憶とか、景色ってなんだったのだろうと考えてみた。その記憶を手繰るために、生まれてから住んでいた街を書き出してみた。

僕の家は父親が会社員で、証券関係の仕事をしていた。その関係で転勤が多く、当然のように家族も引越しで一緒に付いていっていたのです。
ちょっと年表的に整理してみると…

  • 1958年(昭和33年):大阪府茨木市に生まれる
  • 1963年(5歳):広島県広島市に住む
  • 1965年(7歳):名古屋市千種区に住む
  • 1966年(8歳):愛知県稲沢市に住む
  • 1971年(13歳):神奈川県横浜市に住む
  • 1974年(16歳):兵庫県西宮市に住む
  • 1976年(18歳):大阪府吹田市に住む
  • 1989年(31歳):兵庫県芦屋市に住む
  • 2000年(42歳):東京都小平市に住む
  • 2007年(49歳):東京都港区に住む
  • 2015年(57歳):東京都渋谷区に住む

…という感じです。我ながら引越しが多いですわ(笑)。

まだ0歳のわし。おとんとおかんと茨木の家にて
1歳の頃でしょうか。我ながら可愛い(笑)

茨木市の長屋に住んでいた記憶

一番古くに住んでいた街は大阪府茨木市で、5歳になるまでの期間。その頃の記憶はほとんどない。なんとなく憶えているような気がするのは、きっと当時の写真が残っているからだろうと思う。

なので、写真に写っている景色以外のことを思い出してみると、2つだけ記憶が蘇ってきた。ひとつは、僕が住んでいたのは「長屋:ながや」と呼ばれる集合住宅で、写真の記憶も関係しているが、子供の頃は家の周りでずっと遊んでいた。
その家の近くには川が流れていた。大きな川でなく、どちらかというと「ドブ川」という種類の用水路の類だったような気がする。昭和30年代は、日本中にそんなドブ川がたくさんあった。

そのドブ川の向こう側に武田薬品の工場があった景色を憶えている。…でさっそくインターネットで調べてみると、武田薬品の工場は茨木市には存在していないことがわかった。おそらく子供の頃に見ていた「月光仮面」のオープニングCM(タケダアワー)と記憶がごっちゃになっているのかも知れない。

もうひとつ憶えているは、そのドブ川に近所のお姉ちゃんが落ちて、身体中ドロドロのヘドロにまみれて泣いていたこと。そのお姉ちゃんは、家の玄関先でホースで水をかけてもらってヘドロを流してもらっていたという記憶。

どちらも、記憶が曖昧でそれが本当なのかどうか分からない。このあたりのことは母親が生きていれば聞くことができるのだが、残念ながら両親ともに他界してしまっているので、本当のことはわからない。

茨木のどの辺に住んでいたのだろうか

きっと今はもう長屋なんてないだろうし、人が落っこちてしまうようなドブ川も綺麗に整備されているだろうけど、可能ならば自分がどこに住んでいたのか、死ぬ前にもう一度訪問してみたいと思う。

だが、両親が他界してしまっているので、その当時の住所もわからないし諦めるしかないのかもしれない。

そんななか、僕には大学時代から今での交流のある茨木在住の友達がいることを思い出した。彼の名前は「中澤てるゆき」君といい、生まれも育ちも茨木市(現在も)。

2年前の2017年11月6日に中澤くんの家に遊びに行った時の写真
彼のアトリエにて

大学時代は、しょっちゅう彼の家に泊まりに遊びに行って、夜中じゅう芸術の話をしていた(当時彼も僕も大阪芸術大学の美術学科に席を置いていた)。 確かに彼が住んでいる街には、整備されているが「昔はドブ川」だったような用水路がいくつかある。こんど会ったら聞いてみよう(笑)。

住んでいた街を思い出した

ここまで昨日ブログ記事を書いていて、昨日ブラウザで開きっぱなしになっていた茨木市のGoogleマップをぼんやりと見ていて、ある文字に目がいった。それは「永代町」という町の名前。

そう、僕が住んでいたのは、茨木市永代町なのである。そしてどうして、この名前を思い出したのかというと、僕の本籍があった場所で、何度か戸籍謄本でこの名前を見た記憶があったのだ。やった!<すごいな俺(笑)

永代町は、今は阪急茨木市駅の周辺で賑やかな街。そしてGoogleマップを調べてみると、確かに用水路的なものが表記されている。そんなわけで今度、中澤くんの家に遊びにいくときに、このあたりを歩いてみようと思う。


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