サウンド&ヴィジョン 2号

昭和61年(1986年)4月10日発行の最終号

前回のつづき

創刊2号で三冊目の発行にして、最終号です(泣)。もちろん本誌そのものは格段にグレードアップして84ページ、表1,2,3,4は全てカラー。巻頭にも8ページのカラーグラビアを入れました。もちろん1号と同様にソノシート付き。さらに部数も取次店を通したこともあり大幅に刷ったものです。もちろん、そうなるとコストの方もすごくなって、この一冊を作るために写植代と製版代と印刷代で200万円近くかかっていました。

冊子そのものの売り上げも、前回よりも伸びましたしカラー3ページを含め、51コマの広告も埋めました。それでも冊子の売り上げが入金されるのは、3ヶ月後でしたし、なかなか資金繰りがうまく回らない。結局ほとんどは本業のデザイン事務所の経営からコストを捻出していました。

加えて、この頃に大阪芸大のテクノバンド「ソフト」というグループが売り込みみに来て、彼らのシングル盤をリリース。「レディメイドレコード」というインディーズレーベルを作り、同時の、この頃に「Last Punk Osaka」というパンクバンドのオムニバスLPの制作も進行していました。

取材内容はかなり充実

表紙は少年ナイフと中西學(現代美術作家)のコラボレーションで、中西君の自宅兼アトリエ(なぜか銭湯)に作品を並べ、彼らのポートレートを撮影しました。もちろんにソノシートも少年ナイフで、インタビューも掲載しています。

ちなみに少年ナイフをインタビューしたのは僕だったのですが、なんか「やる気のない」ダラダラしたねーちゃんたちだなあ…と当時はイラっとしたものです(ここだけの話)。

他にも掲載したアーティストは、少年ナイフ、コブラ、インフェイク、アフターディナー、チェリー、LOOP、TRIO、ダムタイプシアター、劇団犯罪友の会、瞬間の芝居屋さん、中原浩大、藤本由紀夫、クロダセイイチ、豆村ひとみ、テント、桂さん福、デッドエンド、ヨーラン…etc。

デッドエンドなどの記事は、当時ナイトギャラリーレーベルと運営していた電動マリオネットの森田君や、瞬間の芝居屋さんの取材は未知座小劇場のリンゴ☆マンゴ氏が担当してくれ、創刊準備稿から一緒に頑張ってきたダシオ君も、パンクを中心としたインディーズシーンで多く取材をしてくれました。

冬の寒空と朝の目玉焼きの匂い

あ、そうそう、この記事の中で登場するダムタイプシアター(DUMB TYPE THEATER)という劇団は、僕と中澤君のふたりで京都の稽古場まで観に行ったものです。芝居が終わって、あまりのアヴァンギャルドな表現に、僕と中澤君は、ふたりともノックアウトされてしまい。その後居酒屋で、熱く演劇とアートとインスタレーションと音響について語ってしまい、四条河原町の阪急電車の最終を逃してしまいました(笑)。

当時僕は、大阪の吹田市、中澤君は茨木市。京都で夜を明かすようなお金もなかったので、僕たちはなんと、京都から中澤君の家がある茨木市まで、夜通し歩いたものです。

たぶん、この段階でふたりとも20代の半ばで社会人。まるで大学生のような行動に「やっちまったな」と苦笑いをしながら、僕たちが作っているメディアをどのように飛翔させていくかを朝まで、熱いトークをしながら冬の寒空を歩いたのです。

高槻を越えたあたりで、じわじわと夜が開け始めてきて、歩いていると、民家から朝ごはんの「目玉焼き」の匂いがしてきたのを今でも忘れません。まさに青春だったのかもしれません(笑)。

当時の僕と中澤君。運営がうまくいかないストレスからか、毎日飲み歩いていました(だから会社が潰れる…笑)

廃刊にしたのは、資金不足

そして、この号を最後に「サウンド&ビジョン」は廃刊となります。もちろん僕も中澤君も、関わってくれたスタッフもみんな継続したかったのですが、冒頭に書いた資金繰りの悪さは、ますます悪化。さらにその分が本業の仕事にも影響し、実際にミニコミを作っている場合ではなくなってきたのです。

会社の経営が悪化しているのに、社長が趣味にお金を使い込んでいるというのが、一般的な見え方だと思ってましたし、まずは会社を立て直すことに注力しようと思ったのが、20代も後半にさしかかる頃でした。

つづく


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