プラネットシティの翌年、遊星都市を名乗る
(前回のつづき)プラネットシティは1年ちょっとで解散したのですが、僕にとってはやり残したことがたくさんありました。もちろんプラネットシティで、オリジナル曲を作ることに目覚めて、初めて「自分のバンド」という満足感はあったのですが、やり残したこと…というのは「ライブ」だったのです。
ちなみにプラネットシティのキーボードの榎本みょうが君は、遊星都市になってからもバンドメンバーではないですが、スタイリスト的なことやクリエイティブなアイデアをたくさん出してくれて、そこから30年後の今も、まさかのバンド再結成のメンバーになってくれました。
ドラムの文田くんは、プラネットシティ以降は付き合いがなかったのですが、これまた30年後、僕が東京を拠点に仕事をするようになって再会。彼はインテリアデザインの世界では、世界的に有名なデザイナーになっていました(びっくり)。その彼とも4年前一度バンドを組んだことがあります。
ベースの黒田君は、遊星都市にも参加してくれてベースを弾いてくれました。彼はその後「アフターディナー」という有名なバンドにも参加したそうです。
ちなみに遊星都市とエンゼルアワーがウェブに記録されている
ちなみに、最近知ったのですがオクダケンゴさんという方のウェブサイトに、インディーズバンドの辞典のようなページに、遊星都市が掲載されているのですよ。これには本人もびっくり!さらにエンゼルアワーまで載っていました。もう忘れかけていたことなのに、こうしてワールドワイドウェブに残っているって、すごいですね。しかも、僕が電動マリオネットのライブをお手伝いしたことまで載っている。一体どこから情報を仕入れていらっしゃるのでしょうか(驚)
ライブのたびにメンバーが変わったバンドでした
そのオクダケンゴさんのサイトに掲載されている遊星都市ですが、実はメンバーはこれ以外にも数人いまして、合計すると15人になります。それをざっくり分類すると、前期と後期に分けてもいいかもしれません。
前期の固定メンバーは、プラネットシティの黒田君(ベース)、キーボードのカトーヒロユキ君、そしてエンゼルアワーの一宮君。特にこの時期キーボードのカトー君とは一緒にデモテープを作ったものです。
カトー君は、学生なのにジュピター8というシンセサイザーを所有していて、当時の金額で100万円くらいしたはず。それをバリバリに使いこなしていたのも印象的。
僕も、この時期のデモテープは、リズムボックスをアップグレードして、シーケンシャル・サーキット(プロフェット5を作っているメーカー)のドラムトラックスを使っていました。
以下の曲は、僕とカトー君で作った「遠い昔の未来の街並」と「シティの残像」。このあたりから、また僕の音楽の嗜好が変わってくるのです。