5歳から7歳まで広島に住んでいた
1958(昭和33)年、大阪府茨木市に生まれた僕は5歳の時に、父の転勤で広島に住みます。どこに住んでいたのかは全く記憶になく、確かアパート住まいだったと思います。近所には線路があり、そこには蒸気機関車が走っていました。
もう父も母も他界しているので、その当時のことを聞こうにも手がかりがない。なんとなく覚えているのは、通っていた幼稚園が「あさひ幼稚園」というところで、通っていた小学校が「おうこう小学校」という名前だけをぼんやり覚えています。
そこでググってみると、確かに「広島市立大河小学校」というのを発見しました。ふーん、こんな漢字だったのかー…って思います。さらに地図でググってみると、あさひ幼稚園と大河小学校は、すごく近い。
さらに地図を見ていると「比治山:ひじやま」という場所があり、ここは小さい頃に両親と「紅葉狩り」をしに行った場所であることを思い出した。すごいなインターネット。すごいなグーグル(笑)
本当に蒸気機関車は走っていたのか?
しかし、子供の頃の記憶にあった線路がない。地図を見てみると蒸気機関車が走っていた線路がないのだ。グーグルマップで見てみると、線路はあるにはあるのだが、それは「広島電鉄皆実線(みなみせん)」というもので、あさひ幼稚園からはすごく離れている。
冬は焼き芋、夏はわらび餅とアイスを売りに来るミゼットに子供たちが群がり、焼き芋食べながら、走っていく蒸気機関車を見た記憶は勘違いだったのか…と思ってしまう。
そこで蒸気機関車と広島市内をググってみると、出てきました。現在は廃止されているが、かつて「宇品線(うじなせん)」という国鉄の線路が存在していたのです!!さらにwikiで調べてみると、確かにこの路線には蒸気機関車が走っていたという記録が残っている!
下の地図の赤い線が、おそらく宇品線だと思います。
すごいなグーグル、すごいなwikiペディア(笑)。さらに見てみると、下大河駅というのがあり、この場所が「あさひ幼稚園」のすぐそばなのである。現在は下大河駅跡にポッポ広場という記念碑的な公園があるそうです。
もう間違いない、僕はこの辺に住んでいたのだということはわかった。まるでタイムマシーンですね。ありがとうインターネット、ありがとうグーグル。