スライダー/T.レックス(2/31)

初めて買った洋楽レコード

さて「ロックアルバム31」の2枚目。それはマーク・ボラン(T.レックス)の「スライダー」です。実はこのレコードは、過去のブログ記事「はじめて買ったLPレコード」で一度取り上げています。

記事にも書いていますが、それまで「吉田拓郎」ばかり聴いていた中学生のフォーク少年が初めてかった洋楽のレコードなのです。

このレコードには思い出がいっぱい。まず中学二年生の終わりに、僕たちの中学の一つ上の先輩がいました。彼はスポーツも万能で喧嘩も強い。おそらく中学同士の抗争では殴り込みの先頭に立っていたのだと思います。その彼が中三になり試合も終わって二年生中心の秋の部活に、ひょうこり自転車でグランドまで来て「みんな頑張っとるかー」みたいな激励をしにきた。その頃には中学生のくせにちょび髭を生やして、髪の毛はパーマをかけていました。

そして、その先輩がグランドから消えて校舎の方に向かうと、しばらくして大爆音でT.レックスの「メタル・グルー」が学校中に流れたのです。放課後とはいえ、異常な事態に、部活顧問のカンマキは走って放送室に向かっていきました。


なんだか漫画「20世紀少年」のようでしょ。それをグランドで聴いていた僕は、なんだかとっても痛快な気持ちがしたものです。

初めて買ったLPレコードなので….

はじめて買ったLPレコード」にも書いていますが、これまで僕は日本のフォークソングばかりのLPレコードを買っており、洋楽はこれが始めてでした(シングル盤 は結構買ってましたが)最初の洋楽では、このアルバムとデヴィッド・ボウイのジギー・スターダストを買うか、すごく迷ったのですが結果的にこのレコードを買ったことは、その後の僕の音楽好き人生のスタートとしてはよかったと思います。

なにしろジャケットがかっこいい。この写真はリンゴ・スターがオフで撮影したものが使われていたそうです。アルバムも二つ折りで裏はマーク・ボランの背中になっていて、かっこいい。

僕は今でも、自宅のダイニングから見える場所に、このアルバムを貼っています。

さらにこのレコードを買った当時(1972年)、アルバムジャケットと同じデザインの丸い缶バッチが特典で付いてきて、それが嬉しくて、ずっとジャケットに付けてましたよ(↓中学2年で神田の楽器会館でエレキを弾いてみるワシ)

その缶バッチは、すこぶる完成度がよく大学時代まで持っていたのです。その大学の頃に大阪のロックマガジンという雑誌の編集部でデザインとレイアウトを手伝ったことがあり、名物編集長の「阿木譲」氏に、なんども「そのバッチいいねえ、ちょうだいよ」と言われ、頑なに拒み続けたのですが、いつの間には手元から消えてしまいました(泣)。

プロデューサーはトニー・ヴィスコンティ

さて、このアルバム。T.レックスが「グラムロック」全盛時にリリースしたアルバムで、ここから「メタル・グウル」や「テレグラム・サム」などのスマッシュヒットがありました。僕もこれまで聴いてきた日本のフォークから、いよいよグラムロックを聴くんだ! …と心勇んでレコードに針を落とします。

オープニングは、もう何度もラジオで聞き慣れた「メタル・グウル」そして、次の曲は、アコースティックギターで始まる「ミスティック・レディ」…。そして次もミドルテンポのロック…。あれ?…と思った中学二年生の僕。

そしてB面のオープニングもスマッシュヒットの「テレグラム・サム」でスタートしてノリノリなのですが、それ以降はA面と同じようなミドルテンポあるいは、アコースティックな曲がほとんど。

正直、当時の僕は期待していた「グラムロック」のイメージとは大きく異なっていたので、ものすごい戸惑いがありました。音も聞かずに派手な衣装とお化粧のマークボランが演奏する曲は、もっとハードロック的だと思っていたのです。ちょうど上の写真のような、鋤田正義氏が撮影したエレクトリックでグラマラスな感じ。

そんな戸惑いを感じつつも、毎日毎日、中学校から帰ってきたらレコードに針を落とします。なぜなら洋楽のLPレコードはこれしか持っていないから(笑)。そして今のCDやiTunesのように曲をスキップして好きな曲だけを再生するなんてできない時代だったので、ひたすらA面の最初から針を落として全曲を聴く…という時代。

でも、それがよかった。それでT.レックスを大好きになった。もともと好きだったフォークに近い曲調が、はじめてロックの世界に踏み入れる僕にとっては、とても合っていました。マーク・ボランがエレキギターに不慣れで下手くそでよかった(爆)

このアルバムのプロデューサーは、デヴィッドボウイのベルリン三部作や、晩年の★(ブラックスター)などをプロデュースしたトニー・ヴィスコンティ。このアルバムでもマークボランをサポートするように分厚いストリングスや、ソウルフルな女性ボーカルが多様されています。

そして、このアルバムで一番好きな曲は、これ↑
Baby StrangeというB面の三曲目のミドルテンポのブギー。この曲のサビの部分のメロディを聴くと、いまでも目頭が熱くなります。なぜ目頭が熱くなるのかはわかりませんが、このメロディを聴くと中学2年〜3年までの時代の風景。すなわち僕が小説「遠い昔の未来の記憶」で書いた情景が思い浮かんでくるのです。むろん、アルバム全体に記憶が蘇ってくるのは言うまでもありません。

それは極めて個人的な想いでの「ロックアルバム31」へのランクインですが、それでよかったと思っています。もし始めて買った洋楽のLPレコードがディープ・パープルだったりクリームだったりしたら、僕はこれほど音楽にのめり込んでいないように思います。

パンクのゴッドファーザー

その後のTレックスは、20世紀少年で使われた「20thセンチューリーボーイ」をはじめ、「チツドレン・オブ・ザ・レボリューション」「イージー・アクション」などのスマッシュヒットを飛ばしますが、シングル売りに注力を注いだせいか、アルバムは「タンクス」「朝焼けの仮面ライダー」「ジップガン・ブギー」と、どんどんアルバムとしては散漫になっていき、マーク・ボランファンとしては寂しかった思い出があります。

しかし、奇しくもラストアルバムとなった「地下世界のダンディ」はA面の最初からB面のラストまで、トータルに「復活したマークボラン」を表現しています。ちょうどその頃、ロンドンではパンクロックの登場によって、多くのハードロックやプログレのバンドが、時代遅れの恐竜バンドと軽蔑されていた時代に、なぜか、マークボランだけは「パンクのゴッドファーザー」という異名をもらっていたようです。

アルバムジャケットも中央に穴が空いており、そこにマーク・ボランの写真が内ジャケットに印刷されていて、いい感じ。

そして、アルバムリリースの直前、妻のグロリア・ジョーンズが運転する車が街路樹に激突し、同乗していた彼は29歳で死去します。再起を図ったアルバムだけに残念。そして、このアルバムの最後の曲が「十代の暴走」という、これからやってくるパンクロックの大きな時代のうねりや、自分自身の交通事故を予言しているような曲で震えます。

が、この曲は楽曲として最高。ありがとうマーク・ボラン。


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