シングルレコードしか買えなかった時代
そんな僕が音楽に目覚め始めたのは、小学校6年から。少しだけ早く僕はラジオを聴く子供になっていて、そこでかかっている洋楽に心を惹かれていきました。かった順番は覚えていないけど、ドーンの「ノックは3回」、中学校1年の夏休みに見た「小さな恋のメロディ」。
そんな僕が音楽に目覚め始めたのは、小学校6年から。少しだけ早く僕はラジオを聴く子供になっていて、そこでかかっている洋楽に心を惹かれていきました。かった順番は覚えていないけど、ドーンの「ノックは3回」、中学校1年の夏休みに見た「小さな恋のメロディ」。
愛知県稲沢市に住んだのは小学校の1年生の3学期。それまでは同じ愛知県の千種区だったのですが、名古屋支店に勤務していた父が、会社の社宅が新築されたのでそこに入居したのです。社宅といっても普通の一戸建て。稲沢市の緑町というところで、そこは奥田団地と呼ばれていました
1958(昭和33)年、大阪府茨木市に生まれた僕は5歳の時に、父の転勤で広島に住みます。どこに住んでいたのかは全く記憶になく、確かアパート住まいだったと思います。近所には線路があり、そこには蒸気機関車が走っていました。
子供の頃を思い出してみると、僕はマンガばかり読んでいた子供でした。そして、うちの母親の実家は紙問屋で家にはたくさんの紙と筆記用具があったので、小さい頃から絵ばっかり描いていました。もちろん明るい時間は外で走り回っている子供でしたが、家に帰ると絵を描いて、テレビマンガを見て、マンガの本ばかり読んでいるような子供だったのです
自分の体感的にグループサウンズが流行していたのは、1967年から1968年。小学校の3年・4年という感じです。クラスの中でもグループサウンズに夢中になっているのは、ほぼほぼ女子(あたりまえ)で、僕は男子の割にはグループサウンズを応援していたように思う。
音楽が素晴らしい。全体に管楽器を中心にしたオーケストラレーションが素敵すぎる。間奏のメロディなんて、「いつかこんな曲を作ってみたい」と今でも思います。特に間奏の最後のホルンの音が最高です。そしてメロディがなんとも切ない。途中の「微塵がくれだ火炎の術だ」の部分では、胸が締め付けれられませんか?
生まれて初めて映画館で観た映画を思い出してみると、ディズニーの「101匹わんちゃん大行進」という映画でした。なんで覚えているかというと、映画の中に出てくるわんちゃん(ダルメシアン)の子犬を毛皮にしようと企む鬼ババア「クルエラ・デ・ビル(Cruella De Vil)」があまりにも怖かったからです(笑)
自分にとって一番古い記憶とか、景色ってなんだったのだろうと考えてみた。その記憶を手繰るために、生まれてから住んでいた街を書き出してみた。僕の家は父親が会社員で、証券関係の仕事をしていた。その関係で転勤が多く、当然のように家族も引越しで一緒に付いていっていたのです。