25年間音楽制作から遠ざかる
(前回の続き)さて、この「バンド歴史」タグの最終回です。前にも書きましたけど、音楽制作(バンド活動)をしていた20代も、僕が30歳で結婚し家庭を持ってからは、およそ25年間ずっと封印して生きてきました。
そんな僕が再び音楽に関わりを持ち始めたのは、2013年になった頃でした。当時僕は「躁鬱病」を患っていました。そんな時に再会したのが「田中ハジメ」君でした。今回のバンド歴史の中に初めて登場する彼なのですが、その関係はエンゼルアワーの最後の年、大学四年生の学園祭に遡ります。
その学園祭で、エンゼルアワー以外にステージに立ったバンドが、パックアートというバンドで、そのバンドのリーダが田中ハジメ(ベース)、ドラムスが文田君(のちのプラネットシティ)、ギター細沼君(のちの遊星都市)、そしてキーボードがみょうが君(のちのプラネットシティ&PLANET CITY)というメンツで、ハジメだけが交流はあったのに、一緒にバンドを組んだことがなかったのです。
そのハジメが、うつ病の僕を元気つけようとしてくれたのか、どうかはわかりませんが、ぼくんちに遊びに来てくれて、さらに大阪芸大のバンド仲間を連れて来てくれたのです(彼は大学時代のバンド仲間と交流を続けていたようです)
ほぼ30年ぶりに会う昔のバンド仲間に、元気をもらったものです。ハジメありがとう。さらに僕とハジメと文田君で「とりあえずバンドやりましょうよ」というハジメの提案で、3人で何回かスタジオで練習したこともあります(このバンドはその後、僕がロックバーをスタートさせたことや、ハジメが香港に移転して仕事を開始したことで、自然消滅してしまったのですが)
ゴンゾにも再会する
そして同じくらいの時期、うつ病の僕に元気を取り戻そうと、妻が大阪旅行を計画し、そこでゴンゾと再会しました。
その時に彼に「またバンドやろうと思っているんだけど、エンゼルアワー時代のフェンダーのベースが盗まれてしまってさ…」と伝えると「ほな、わしのベースを1本やるわ」と、なんとヴァレーアーツのベースを貰ってしまったのでした。
2017年みんなでバンドをやることに
それから…4年。2017年。僕はずっと交際していたのりこと入籍することになりました。お互い老人の再婚だし結婚式をするのは止めたのですが、その代わりに友達を集めてパーティをしよう…という話になり、それが、あれよあれよという間に100人規模のロックンロールパーティになり、それを記念して僕たちも大阪芸大時代の仲間と、昔のオリジナル曲を演奏しよう…ということになり、一度限りの再結成をしました。
メンバーは大阪からゴンゾ、東京メンバーは僕とみょうが君と文田君。そして香港からハジメも来てくれました。
その時のライブ映像も貼っておきますね(笑)
おかげさまで、とても楽しいパーティで、僕には30年ぶりのライブでした。そしてライブ終了後、みんなと「またやりたいね」という話が持ち上がり、その後紆余曲折あって、僕とゴンゾとみょうが君でバンドを再結成することにしました。