実は一番好きだったパンクバンド
「ロックアルバム31」の13枚目。初期のパンクバンドである「ストラングラーズ」です。1977年のパンクロックシーンで登場したバンドは、セックス・ピストルズ、ダムド、クラッシュ、ジャム…そしてストラングラーズ。
これらのパンクバンドは、これまでのロック産業に対するアンテテーゼで、演奏能力が低くても、自分たちのやりたいことをやる! というポリシーで若い連中が、若さの限りを発散し、新しい音楽を作っていました。
そのなかで、ストラングラーズは、ある種異端で、まず「若さ」という点に於いて、ドラムのジェット・ブラックはデビュー当時38歳(笑)。そして「頭はカラッポ」でも若さで頑張るパンクバンドの中で、他のメンバーは全部大学卒業、かつ大学院まで通っているメンバーもいるくらいインテリ。
…と言っても、そこにインテリジェンスは隠しつつ、とにかく攻撃的なサウンドとビート。とりわけベースのジャン・ジャック=バーネル(以下JJ)の、ほとんど「リードギター」的なベースサウンドは、日本でもリザードを始めとして、多くのパンクバンドに影響を与えました(実は僕自身もそうです)。
それまで、バンドを組んだ際のベーシストってのは、ドラムと一緒に「奥に控えし」的な扱いだったのですが、大音量でダウンピッキング中心のJJのベースは、楽曲そのものを牽引するような画期的な手法だったと思います。
加えて、短髪中心のパンクシーンで、ロン毛でヒゲまでは生やしていたキーボードのデイヴ・グリーンフィールド 。それまでギターサウンドばかりのパンクロックシーンに、まるでドアーズのようなキーボードが加わることは画期的でした。
大学時代に僕がやっていたエンゼルアワーというバンドは。この当時のストラングラーズの影響をモロに受けていて、ベースの僕はテリブルMAXでダウンピッキング、キーボードのくまさんは、デイヴ・グリーンフィールドのようなリフを弾きまくっていました。
「ロックアルバム31」初のライブアルバム
さて、そのストラングラーズ。どのアルバムをチョイスしようか、散々迷ったのですが。「ロックアルバム31」ではライブアルバムは除外することを基本ポリシーとしていたのですが、このアルバム「Xサーツ」だけは、特別扱いします。それはストラングラーズのアルバムを全部持っている僕が、過去に一番多くターンテーブルに載せたレコードであること。そして、このアルバムを境にストラングラーズの音楽性が大きく変わっていったことが要因です。
そして、このアルバムには21歳京大西部講堂で観たストラングラーズサウンドがそのま凝縮されているからです。オールスタンディングのライブで客席は先着順。僕たちは昼から西部講堂前に安全ピンやモヒカンのパンクスたちと並び、開場すると前から5列目くらいのスタンディング席状態。
朝の8時代の山手線や中央線のようなぎっしり詰まった客席で、全員がポゴダンスで酸欠状態になり、立ったまま気絶。それをステージからプロレスラーのような体格のローディーが、まるで畑から大根を抜くように、客を引っ張り上げて、マグロのようにステージ下手に並べていく。その時の象徴的な曲がこれです。
もはやパンクバンドのカテゴリではない
このアルバム以降、ストラングラーズは大きく変わっていくのです。Wikiには「プログレやアート・ロック、ゴシック・ロックなどからの影響を感じさせるインテリジェンスとリリシズム」と描かれていますが、やはりそれはストラングラーズのサウンド。もともとインテリであったメンバーだからこそ作り上げることができたと思います。
そして、オリジナルメンバーのヒュー・コーンウェルが脱退し、ジェットブラック、デイヴ・グリーンフィールドが相次いで他界。残ったのはJJだけ。しかしそれでもJJはストラングラーズの解散宣言をせずに、まだ活動を続けています。いつは見てみたいものです。