それは大学2年の出来事
「おい、おっさん、わしの仕事手伝ってくれや」…と大阪芸大の2年生の僕に声をかけてきたのは中澤てるゆき君でした。中澤君は僕と同じ高校(そのことは後から知った)で、僕は一浪したので彼は1学級上の学年でした。
話を聞くと「高校の同級生が劇団に入っていて、その公演が大阪芸祭でもあるから、その看板を作るのを手伝って欲しい。さらに劇団の美術も任されたのでそれも一緒にやって欲しい」…とのこと。
その劇団は、八尾に稽古場を置く「未知座小劇場」。今回の公演「海と少年」は第八回公演になります。そして中澤君の同級生というのは、なんと高校三年の僕のクラスの同級生の横山君(よっこん)=茨木童子でした。彼が大阪芸大に入ったことも知らなかったのでびっくりです。
舞台美術背景をコールタールで描画
そしてなんとか、二人で公演看板を完成。でも重要なのは舞台の美術です。未知座小劇場は、どの公演も巨大なテントを設営し、その中の空間で芝居を行います。僕たちがオーダーされたのは、縦2メートル、横12メートルの「海の絵」を書いてください…というオーダー。
↑これが完成した状態。僕たちは「どうやって描こう」と議論し、次に「何を使って描くか」を考えました。普通に考えればペンキなのでしょうが、もっとオリジナリティを考えたうえ「コールタール」を素材に選びました。そう道路舗装に使う、あのコールタールです。
そこに白ペンキで海を描き、ブラシを使ってのアクションペインティングで「海」を表現しました。
見ていただければわかると思うのですが、コールタールは「重油」なので、その上にペンキで描いても重油の油分が、どんどん浮いてくるのです。その色は金色に変化し。自分たちが思った以上の仕上がり。
あとから「こうなること(金の海)を計算して描いたの」と聞かれると、当然です。と答えていました。わははは。
制作工程は大変でした
毎日少しずつ描きながら、それを神社の壁にかけて乾かします。そのペインティングも終盤に近づいた頃、描いた絵を見ると、そこには近所のちびっこの仕業なんでしょう。泥爆弾が沢山撃たれていました(笑)。
縦2メートル、横12メートルの絵を書くというのは、思った以上に大変。そこで僕たちは稽古場の近所の神社の裏の空き地を使って絵を書きました。
まずは、その泥を洗い流す中澤君(笑)。そうこうしているうちに、泥を投げたちびっこが集まってきて、中澤君は彼らに説教してました。
そんなこんなあって、なんとか絵も完成。芝居の本番では、この横12メートルの絵がクレーンで上に上がり、夕方から開演した公演で、テントの外が丸見えになり、そこにイントレで三段組した舞台に白い布が被せられ、さらに三本のマストの帆があがり、そこに炎と海の映像がプロジェクタ3台で投影するという、ドラマチックなクライマックス。
テント芝居の最終公演は大阪芸大
そんなテント芝居は、京都大学西部講堂前の広場を旗揚げに、全国の大学の学園祭を周り、最終公演は大阪芸大でした。
最終公演、僕と中澤君は自分たちの作った美術を観に公演を観に行きます。それも3日連続。現場では久々に会う横山君をはじめ、この芝居の期間中にすっかり仲良くなった劇団の人々とも一緒。
大酒飲みの劇団員のみなさんと一緒に、最後は大打ち上げ。ひとり一升飲み干すようなペースでべろんべろんになりましたとさ(笑)。
ちなみに芝居の最終公演では、芝居で使った美術や不要な小道具を全部燃やすのですが、今回はコールタールで描いたので、めっちゃよく燃えました(笑)
これが僕のアンダーグランド芝居参加の初体験。大阪芸大だったからこそ、こんな現場を、このあとも沢山経験することになります。
ちなみに中澤君もよっこんも、あれから40年以上経っても繋がっており、中澤君はアートのフィールドで、よっこんは昨年から芝居を再開させました。今年の年末にはよっこんの大阪公演があるので、楽しみです。