中学時代の街並を見てきた

実は小説を書いています

今年の3月くらいから、小説を書いています。書き始めたきっかけは、実はこのブログの準備をスタートさせてからなんです。このブログでは還暦を迎えて人生の終盤を走っている僕の、これまでの人生を全部掲載しておこう…というのが、目的のひとつ。ブログ開始にあたり掲載原稿をEvernoteで管理していたのですが、そのなかで中学時代の頃の記憶を振り返ると楽しいことばかり。

僕の中学時代はの1年生は愛知県稲沢市、2年から3年の二学期の終わりまでは横浜市、そして3年の三学期からは兵庫県西宮市の中学校で過ごしました。そんななか、おそらく人生で一番楽しかった時期を振り返ると、中学三年生の横浜時代。

上大岡駅周辺にある「赤い風船」当時はなかったような…。

その記憶を思い出しているうちに、当時の横浜を舞台にした小説を書こうと決めたのです。

住んでいたのは横浜市港南区

その中学時代に住んでいたのは、横浜市港南区。駅でいえば京浜急行の「上大岡駅」。この日は日中横浜駅前の、とある会社を訪問し、そのあと上大岡に向かいました。

僕が住んでいた家の付近から、港南区を見下ろす

さっそく自分の住んでいた家(当時は社宅に住んでいました)を探して行ってみたのですが、実は住んでいた上大岡町は、僕が中学を卒業してから町名が変更になっていて、Google マップでは探せませんでした。かなりテクテク歩いたのですけどね。

仕方がないので、小説に出てくるように自力で通っていた中学へ行ってみることに。なんとなくうっすら記憶はあるのですが、全然思い出せず。色々な道をクネクネと迷いながら歩く。まあ、それもそれで楽しいのですけど。

そうこうしているうちに横浜刑務所を発見。中学校は、この刑務所からすぐです。ちょっとワクワクしてくるというか、昔の恋人に会うような気分で少しドキドキします。

小説の舞台は横浜市立笹下中学校

少し歩くと1年半通った笹下中学が見えてきました。僕らが登校していた長い階段の入り口は、扉がつけられて閉鎖されています。

なので脇道から正門へ。当時これが正門とは思わなかった。裏門だと思っていた。けど残念ながら門は閉まってます。当然といえば当然ですが。

なので、さらに裏道を歩いて校舎が見える場所に。昔はここに焼却炉があって、工事の廃材が積まれていた記憶があります(僕はこの学校の二期生卒業で、できたばかりの学校に通っていたのです)

さらに学校の裏道から天照大神宮へ。この神社の境内のなかにクラスメートの家がありましたけど、そこまで行ってみると表札が違ってました。そりゃ45年も経てば色々変わりますよね。

地元のホルモン屋さんで情報収拾

とにかくよく歩きました。60歳なのに(笑)。でもひとりでずっと回っていなので、知りたかったことはあまりよくわからず。それでも確実に45年前に僕がいた場所の空気を感じることができて満足です。

帰り道でお腹も空いたので(いつもは家でご飯食べるひとですが)、目の前にあった「上大岡 ホルモン酒場 いっしん」という店に吸い込まれてしまいました。なんだか風情が昭和っぽかったので(笑)、もしかして昔の話でも聞けるかな…とか思いつつ。

お店に入ると、昭和っぽい雰囲気なのですが、店員さんがみんな若くて、ちょっとがっかり。これじゃあまり昔の話は聞けないかな…と思いつつカウンタに座って、ビールとホルモンを注文。

ところが、お店の人に話しかけてみると全員僕と同じ笹下中学出身で、この店は笹下中学のOBがよく来るらしいのです。さらに聞いてみると、僕のクラスメールらしき人物の名前も常連で来ているらしい。

それが本人かどうか、また来ようと思いました。今度は妻と一緒に再び港南区巡礼をしようかと思っています。


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