作った会社は株式会社
これまでの流れ
・大学を卒業してレコード屋に勤務した→
・レコード屋を退職してデザイン会社に勤務した→
・デザイナーとして独立して仲間とオフィスを借りた→
デザイナー仲間で借りていたオフィスは、常にレゲエだのニューウェーブだのテクノが流れて、知り合いが麻雀しにきたり、酒を飲んだり、さらに悪いことしたり…とユルいオフィスだったのですが、この頃から僕は、もっとデザインの仕事がしたい…と思うようになり、これまでのフリーランスではなく会社組織にすればもう少し「いい仕事」ができるようになるかも…と思うようになりました。
そこでみんなと借りていたオフィスを出て、北堀江から長堀通りを越えて北にある「新町」という場所にあったマンションを借り、そこに全く別のフリーランス集団と合流。
彼らはイベントプランナーの集団で常にスーツを着ていたので、これまでのユルい感じとは異なるメンバー。僕を含めてデザイナー3人、プランナー2人という5人体制で会社を設立。僕は20歳代で代表取締役になりました。
資本金は300万円。この会社をスタートさせる際に知り合った世話好きのクライアントのおかげで、顧問税理士さんも紹介してもらい、これまでのユルい集団から、急に会社らしくなったものです。
ミニコミを作るたびに赤字が増える
会社組織にしたせいか、仕事の質も少しずつよくなり、さらにその利益でミニコミ作りを本格化させました。僕としてはミニコミを作るというよりも、出版メディアを作って広告収入で稼ぎたいと思っていたのです。
そのあたりのことは「SOUND & VISION」で詳しく書いていますが、制作費と販売部数、そして広告収入のバランスが取れず、創刊準備号を含めて3冊を出版して、会社の倒産に伴って廃刊になりました。
なにしろ、すべてのページで写植で版下を作り、オフセット印刷で5000部刷ってましたから、一冊作るごとに100万以上の赤字が出ていました。
また、この頃はデザインとかアートディレクションとかの現場の仕事よりも、営業とか資金繰りとかに時間を費やすことが多く、その資金繰りはかなり苦痛で、ものすごいストレスを抱えていました。さらに先物取引にひっかかってしまい、なけなしの100万円が消えたりとか、後半の半年は、身も心もボロボロになっていました。
会社倒産して借金山の如し
結局1年半くらいで会社は倒産。すべて社長としての僕の責任だと思います。そして会社が倒産すると、襲ってくるのはお金の取り立て。
そのお金を払えるくらいなら会社を潰すことはしないので、このあと借金まみれになる人生のスタートだったのでしょう。
国民金融公庫、保証協会、サラ金、街金、コピーやトレスコのリース代、その他支払い…。その全てが代表取締役である僕の保証になるのです。会社を倒産させたのが28歳だったかな。まだ20代なのに1,500万円くらいの借金がありました。
会社の倒産が決まって、数ヶ月は本当に生きているのが辛い状態でしたが、今となってみれば「いい経験」をしたのかも知れません。
デザインの専門的な勉強など何もしていなかった僕が、飛び込みのようにデザイン事務所の扉を叩いてから6年くらい経ってました。デザインという経験もそうですが、経営者としても中身の濃い期間だったと思います。