いつ死ぬかわからないけど、いつかは死ぬ
個人的に僕は子供の頃から「死ぬこと」がとても怖く感じていました。「死んだら僕はどこにいくの?」とか「死ぬことは苦しいの?」などの質問をいつも母親にしていた記憶があります。
そして成長するにつれて、叔父さんや叔母さんたちの葬儀に参列し、遺体が棺桶に入れられて釘が打たれる場面や、火葬から出てきた遺骨を骨壷に収める場面を体験してきました。さらに自分の母親と父親が病院で息を引き取る瞬間に立ち会ったり、最近では娘が自殺して旅立ってしまったり…という遣る瀬無い体験を含めて「ひとはいつか死ぬ」ということの、あたりまえの事実をどんどん受け入れるようになりました。
そして2年まえに還暦を迎え、60歳になったときに僕は、より「死」を身近に感じてしまいました。なぜなら僕の母親は60歳で他界し、父も60代でこの世を去った方です。そのことがあったので、僕は30代の頃「俺も60歳になったら癌で死ぬ」と思って生きてきました。
60歳になっても死ななかった僕
しかし、僕は2年まえに還暦を迎え、仲間を集めて還暦パーティをしました。しかも、その年にバンドを再結成したという嬉しい出来事もありました。さらにその2年前には今の妻と入籍して、そこでも結婚パーティを行ったのです。
そこで感じたのは「俺はまだ生きている」ということで、生きていることは幸せで素晴らしいと感じたのです。そして「ひとはいつか死ぬ」とぼんやり考えていたことは「ひとはいつか死ぬけど、死ぬ瞬間まで楽しく生きていたい」という考えに変わってきました。
つまり、単に死ぬことを恐れるのではなく「いつ死んでもいいように」これまでの人生を振り返ったり、感謝したり、噛み締めたり、もちろん日々の暮らしも幸せであることを確認しながら、生きていこうと決めました。
そして、死を迎える瞬間までこれまで生きてきた人生を総括できるドキュメントを残しておきたいと思うようになり、その作業はきっと楽しいものだろうと思うようになりました。それが僕にとっての「終活」なのです。
終活を楽しむ
Wikiで「終活」を読むと、個人が行うものとして以下の三つの項目が挙げられています。それなりに興味深いことが記載されていますので、ぜひ読んで見てください。
- 準備(生前整理、遺言、エンディングノート)
- 葬儀(葬儀の準備と墓)
- 財産と記録(遺産相続、自分史、SNS)
また「イリーゼ」という介護施設(老人ホーム)のサイトに「終活とは?自分らしい最期を迎えるために必要な3つのこと」という記事が掲載されており、こちらも興味深いです
その中に終活のメリットという項目があり、以下のように記載されています。
終活で得られるメリットは、主に3つあります。
イリーゼ:「終活とは?自分らしい最期を迎えるために必要な3つのこと」 から引用
1つ目は、自分の意思が家族に伝わり、老後の生活が前向きになることです。ただ、死を前提とする話は、健常な人であれば最初は戸惑うものであり、聞かされる側も驚いてしまう可能性が高いので、伝えるときはまず「自身の健康状態から切り出す」のがポイントです。
2つ目は、残された老後生活が充実することです。死を人生のゴールとするなら、先行きが曖昧なゴールより、ある程度自身で把握できたほうが、残りの時間を有効に活用できるでしょう。
3つ目は、遺産相続のトラブルを回避できることです。金銭が関わる遺産相続では、「誰がどれだけ受け取れるか」が明確になっていないと、大きなトラブルに発展するおそれがあります。自分が生きているうちに、遺言書を残すことはもちろん、相続する相手とも話し合いを進めておきましょう。
この中で僕が同意したのは、2つ目の「残された生活が充実する」ということです。先行きが曖昧なゴールより自分で把握できることのクリエイティブというか、そんなイメージ。
例えば、自分の葬式というのは、当たり前ですがその場所に自分自身は存在していません。ならば参列してくださる方にこんな体験をしてほしいと、考えて自分自身の葬式をプロデュースできる楽しみってあるんじゃないかと思っています。
以前に「終活サイト企画」を考えた 時のコンセプトのひとつに、多くの人は自分が死んでからも「思い出してほしい」と願う人が多いんじゃないかと思ったことがあります(個人的に僕は、死んだ後は忘れてもらってもよいと考える派ですが…笑)
そのために、個人の記録を第三者が見て理解できるものにしておくこと…という行為も「それを作り上げる」工程が、残った人生で楽しめる日々になるんじゃないかと思っています。
このブログでは、終活を楽しむためのアイデアや、僕自身の途中経過を定期的にアップしていきたいと思いますので、また読みにきてください