コロナウィルスで死ぬ覚悟
「悔いのない生き方」を実現するには、たくさんの努力をすること…という、なかなか達成できない目標ではなく「いま生きている瞬間の幸福感を実感すること」だと思うのです。
「悔いのない生き方」を実現するには、たくさんの努力をすること…という、なかなか達成できない目標ではなく「いま生きている瞬間の幸福感を実感すること」だと思うのです。
Wikiによると「エンディングノート」とは『法的効力を有する性格の文書である遺言とは異なり、存命中や死後の家族の負担を減らすことを目的としている』と記されています。ですので、形式はどのように書いてもよいと思いますし、「自分が死んだ後」に葬儀などの手続きを円滑にできるように作っておくとよいものだと僕も思います。
単に死ぬことを恐れるのではなく「いつ死んでもいいように」これまでの人生を振り返ったり、感謝したり、噛み締めたり、もちろん日々の暮らしも幸せであることを確認しながら、生きていこうと決めました。
その企画というのは、高齢者社会に向けて「人々の役に立つコンテンツを作ろう」というもので、当時56歳だった僕が(現在は61歳)、これからやってくる高齢者にとって、解決したいこと、悩んでいること、やってみたいことのお手伝いを考えようと考えた企画です。
その基準は「この先に二度と読むことはないだろう」と思う本は、全部捨てました。書籍コレクターというのは罪深いもので、買って集めた本には愛着がある。その本が本棚に並び背表紙を見ているだけで、うっとりしてしまう。けど、そのために住居を本で圧迫されるのは、いかがなものか…と
2020年の抱負の第一位は「死なない」ということです。今年で62歳になる僕は、60歳で他界した母の年齢を2年越えています。そしていま、自分の人生を振り替えてみると、まだまだ「やりたいこと・やってみたいこと」が満載。それらを達成するまでは死にたくありません。
以前に、サンセルモ玉泉院という葬儀会館に行って、自分の葬式のレクチャを受けたことを書きましたが、今回は、その玉泉院が行っている「海洋葬」の体験をしてきました。海洋葬というのは、告別式のあとの火葬で遺骨を海に散骨するという埋葬方法です。
「終活」という言葉がありますよね、人生の最後に向けて準備を整えること。自分が死んだら、財産のある人は相続をどうするか考えたり、どんな葬式を行うのかを考えること。僕もこの数年「終活」に興味を持っていて、それ専門のサイトを作って情報発信しようかと思っていたくらいです(僕にとって、このブログを再開させたのは、ある意味「終活」なんですけどね)。