グラフィックデザイナーの頃

南森町のデザイン会社に勤務

大学を卒業し、最初に勤務した会社はレコードの販売会社、いわゆるレコード屋だった・名前は「大月楽器」と云って大阪梅田を中心に6件くらいの店舗を展開していた。最近ググってみたら、何年も前に倒産しているらしい(寂しいね)。

そこの店長にデザイン会社に転職する旨を相談すると「デザイナーって大変だぞ、給料安いし、仕事もきついぞ」と忠告してくれたが、当時の僕は、レコード屋を辞めることしか頭になく、その分「デザイナー」という仕事が自分の天職ではないか…と勝手に思い込んでいました。

その会社は、大阪市北区の「南森町」というところにあるマンションの一室でした。デザイナー出身の社長が経営し、社長以外に社員が2人という体制で、僕と同時にもうひとり中途採用が決まり、社長を含め5人体制での会社でした。

大学時代にミニコミを作ったり、バンドのフライヤーを作ったり、あるいは大阪市西区にオフィスのあった「ロックマガジン」という雑誌で2号分のレイアウトのお手伝いをさせてもらったことはありましたが、本格的なグラフィックデザインを仕事にするのは初めて。しかも大学の専攻は美術学科:彫塑でしたから、デザイン学科の同級生と比べると、全然スキルのない状態で、就職したもののしばらくの間は「ぽかーん」としてて、先輩たちの仕事を手伝うのが精一杯。

仕事のほとんどは版下作り

当時(1980年代初期)は、まだデザインツールとしてコンピュータ、すなわちMacintoshが市場に出回っていませんでしたから、デザインを行う工程は全部アナログ。しかも、その会社はあまり大きな仕事を受注していなかったので、仕事のほとんどは版下を作る作業でした。

版下というのは印刷物を作る際に作成するモノクロの画面のことで、ここに写植という、文字(フォント)を印画紙に焼き付けたものを切って貼り付け、ロットリングペンで罫線を引き、写真を表示する際には「アタリ」と云われる、写真の大きさを示すものをダミーで貼り付けます。

そして版下の上にトレーシングペーパーを被せて、そこに印刷インクの指定(シアン、マゼンダ、イエロー、ブラック)を書き込みます。そこまでがデザイナーの仕事。ちなみにその後の工程は、版下をスキャンしてフィルムの状態にして、印刷用の4種類のフィルムに網点を張り込むのが製版屋さんの仕事。それを印刷して裁断して仕上げるのが印刷屋さんの仕事と、完全に分業されていました。あ、そうそう版下に張り込む写植を作る写植屋さんや、デザイナーが指定原稿を作って、版下だけを作る版下屋さん…なんて職業もありました。

そこそこ大きなクライアントの仕事をするデザイン事務所では、デザイナーは版下まで制作しないことが多いですが、僕が勤務した会社では、デザインから版下まで全部作ることが仕事だったです。

先輩社員に「辞めるなよ」と言われる

そんなわけで、勤務した当初は先輩に着いて教えてもらっていたのですが、そんな時「トレースコープ」という写植などの大きさを変更するために、カメラで撮影して印画紙に焼き付ける工程を教えてもらっているときのこと。印画紙を使うので、真っ暗な暗室で作業をします。そこは小さな小部屋でドアを閉めると外に声が聞こえないところなのですが、そこで先輩社員にこう言われたのです。

「おまえ、辞めるなよ」
「はあ…」
「おまえが先に辞めたら、俺が辞められなくなるからな」

入ったばかりの新入社員に「辞めるなよ」と言う先輩ってどうよ…と当時は思いましたが、今になってみれば当然の発言(笑)。それだけデザイン事務所の仕事はキツかったのです。

キツかった…というよりも、給料が安すぎ。朝9時から仕事を開始して、終わるのは終電近くの11時くらい。1日14時間。そして給料は7万5千円。たしか当時は土曜日も仕事があったと思うので、1ヶ月で350時間なので時給換算すると214円。いくら当時の物価が今よりも安いとはいえ時給214円って、最低のアルバイト以下ですやん。

まあ、こういった職種って板前や職人と同じで、若い頃は修行だと思って頑張れば、いずれスキルが身に付く…と思って我慢しますが、それでもこの環境はありえない。ブラック企業が問題視されている今なら、一発で行政指導ですやん。

先輩社員が暗室で「おまえ辞めるなよ」と言ったのは、今になってみればよくわかるし、レコード屋を辞める際に店長が「デザイナーって給料安いし、仕事もきついぞ」と忠告してくれたのは、その通りだったのです。

僕にとっては給料もさることながら、毎日終電車まで仕事をすることでプライベートの時間が持てないのが苦痛でした。なぜなら、その当時もバンドを続けており(くわしくは「プラネットシティ」を参照)、曲作りもしたいし、バンドでの練習の時間も必要だったからです。

その半年後、先輩社員は辞めていき、僕も1年半勤務して退職しました。退職というよりも転職ですね。転職後は、その会社で知り合った他のデザイン会社さんの紹介で、アルバイトをしたりして、ちょっとフリーランスの状態っぽくなり、さらに半年後にアメリカ村を中心に、バイヤーやスタイリストが集まってファッション雑誌を創刊するという活動に参加、そこで知り合ったアートディレクターに、ふたたびデザインを教え込まれて転職したものです。

でも、その間も僕はバンド活動を続けていたのは、考えてみれば「しつこい」のかもしれないですね(笑)


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