ロックバーと麻布十番
結果的には大きな負債を夫婦で抱えることになりましたが、この1年半の経験は僕たち夫婦にとっても大きな財産。人生はしんどいこともあるけど、生きていることはやっぱり楽しいと教えられました。
結果的には大きな負債を夫婦で抱えることになりましたが、この1年半の経験は僕たち夫婦にとっても大きな財産。人生はしんどいこともあるけど、生きていることはやっぱり楽しいと教えられました。
ダイニングバーだった頃は「料理が美味しく見えない」という理由で、明るい照明だったのですが、僕たちは「料理」を売るのではなく「酒とロック」を売ると決めたので、なんの迷いもありません。
それぞれのクリエイターのみなさんのプレゼンテーションや、シリコンカフェ独自の企画として、クリエイターが興味を持っているテーマを語ってもらうトークショーなどを行いました。
オープンしたシリコンカフェはすぐにピンチを迎えます。それは戦略を間違えていたからです。つまり飲食店をオープンさせてもっとも重要なお客様は、昔からの知り合いやインターネットやデジタル業界の人々ではなかったということに気がつかなかった
プレオープンパーティは夕方から。この日は店を設計してくれた田中ハジメ。この当時は東京在住の一宮君。榎本みょうが君と文田くん…という大阪芸大時代の仲間。さらに隣のクボクミとボブや、神田さんやサメちゃんや菅原でにすやジェットダイスケなど仕事で知り合った人々もたくさん来てもらいました。
店の内装を考える時に、僕が考えた基本的なコンセプトは、ロサンゼルスのメルローズアベニューや、サンフランシスコのヘイトアッシュベリーにある、ロックやパンク系のブティックのような内装。ロックテイストに溢れた店にしたかったのです。
いよいよ大工さんが入って、調理場の壁やカウンター作りが始まります。数週間前まで何もないスケルトン状態だった店内が、ハジメが描いた設計図通りに出来上がっていく様をみているのは、本当に感動します。特にバーカウンターが出来上がりはじめたときは「ああ、本当に店ができるんだなあ」と感激しました。
バーだけど飲食できるブースを確保し、店内はロックを流し、ロックの映像も店内に大きなモニタで投影し、DJブースも作りたい…。という無理難題をすべて受けれてくれて書いてくれたハジメの力作。僕も妻も、この図面にノックアウトされて、本気でカフェバーを作ることを決意しました。