またまた六本木ヒルズで観ました
日曜日、味噌作りの合間を縫って(笑)六本木ヒルズに行ってきました。目的は映画「イエスタデイ」を見ること。それと森ビルタワーでやっている「細野観光」という細野晴臣の展覧会を観に行くこと。
ようやく秋らしい気候になったせいか、日曜日だからなのか六本木ヒルズはすごい人出でした。ここの映画館僕たち夫婦はとてもお気に入り。以前麻布十番でロックバーを経営している頃、東麻布、南麻布に住んでいて歩いて映画を観に行ったものです。ちなみに現在は渋谷に住んでいるので、麻布の頃よりは少し歩く距離は増えましたけど、新宿と渋谷のTOHOシネマズには歩いていけなくもありません。
自宅から歩いて行ける距離に映画館があるって最高ですね。夜更かししてて深夜の1時に「今から映画でも観に行くか」なんてことが実現できるので(笑)
まさかの60分待ちで諦める
さて、その「細野観光」なのですが、来場者が多すぎてまさかの入場制限。僕たちが着いた頃は「60分待ち」のサインが…。並んで待つと、映画の時刻が決まっているので、あまり時間をかけて展覧会を見れないので、今回は断念。
仕方がないので六本木ヒルズをウロウロと…。森タワーのエントランス部分でなぜかフリーマーケットをやっていたので、ここで孫にTシャツを買ったりしました(笑)
ビートルズの存在しない世界での物語
さて、この「イエスタデイ」ですが、現在公開中なので、今回はあまりネタバレしないように書きますね。とは云ってもYouTubeで公開されているトレイラーや、Wikiペディアには、しっかりとストーリーが公開されていますが(笑)。
舞台はイギリス。小学校の教員をしていた主人公が、ミュージシャンになる夢を諦められずに仕事をドロップアウトして、スーパーマーケットの店員をしながらストリートやパブで歌うことでメジャーデビューを夢見ています。それを手伝っている同級生の彼女(この段階では明確にガールフレンドではない)がマネージャーを務め、二人三脚で頑張っているのですが…。
そこに太陽フレアの影響で地球上の電力が全てストップし、地球単位の停電が12秒間起き、その後は普通通りの生活になるのだけど、少しだけ停電前とは異なった状況になっています。それは地球上から「ビートルズ」をはじめとして、色々なバンドや人物や小説作品や企業が存在しない世界になっているのです。
その世界で12秒間の停電の間に気を失っていた主人公はビートルズを覚えていて(当たり前ですが)、「自分しか知らないビートルズ」の歌を歌ってメジャーデビューを目指す…という物語。ここまではトレイラーでも公開されている大まかなストーリーなので、ネタバレではないから大丈夫。
このトレイラー(予告編)を、今年の夏に「キングオブモンスターズ」を映画館で観たときに知って、絶対に秋になったら見るぞ…と決めていた僕たち夫婦。映画の方は期待通りで大満足。今回は2回泣いてしまうシーンがあり、最初に泣いたシーンでは、涙で視界が歪んでいました(謎)。
イギリス映画ってほっこりしますよね
物語の設定は、以前に読んだ漫画「僕はビートルズ」に似ていますね。漫画の方は4人が主人公でしたが、今回は一人だけがビートルズを知っている世界。その描写が素晴らしいです。こんな世界遺産を自分だけが知っているという期待感と孤独感と罪悪感がうまく描かれています。というか、設定の面白さよりも「売れないミュージシャン」がどんな風に考えているのかが興味深く、自分自身も多少なりとも音楽をやっているので、色々と考えながら鑑賞しました。
この映画の脚本は、リチャード・カーティス。あの「ラブ・アクチュアリー」の脚本家ですね。ラブ・アクチュアリーは僕にとっても人生のベスト10にランクインするような素晴らしい映画で、そういえばラブ・アクチュアリーでもビートルズの曲が効果的に使われていたよなあ…と回想することしきり。↓
この手のイギリス映画って、気持ちがほっこりする作品が多いですよね。僕の若い頃は「小さな恋のメロディ」しかりで、多くの名作があり、こうした「ほっこり感覚」はイギリスの伝統なのかも知れません。↓
観終わってからもニヤニヤできる映画
観ている間も、観終わって帰路につく地下鉄の中でも「ビートルズの存在しない世界」をずっと考えていました。
ビートルズの存在しない世界でも、ジョン・ポール・ジョージ・リンゴは存在しているのか…ということに。ここでネタバレを書きますが答えは「イエス」でした。であるならば、どうして彼らはビートルズにならなかったのか…という歴史を遡って考えてみると、おそらくジョンとボールが出会わなかったことが大きい。その出会いがなければクォーリメンもビートルズも存在しないのでは…。ということ。
そこでまたしてもイギリス映画の名作「ノーウェアボーイ ひとりぼっちのあいつ」を思い出してしまいました。この映画はジョン・レノンの青春時代を描いた作品。実の母親と育ての母(叔母)との間で苦悩するジョン。そんな彼を救ったのが、ポール・マッカートニー。その出会いを描き、彼らがビートルズとしてドイツに旅立つまでの映画。これは素敵です。まだ観ていないならぜひご覧になってください。ちなみに、この映画のポール役の俳優さんは、ラブ・アクチュアリーの子供でドラム叩いて空港を駆け抜けた子役でした。すっかり大きくなりましたねー(笑)
そこで考えたのは、ビートルズというのは偉大な作品を生み出していく装置のようなもの。ジョン・ポール・ジョージ・リンゴの個人では、あの名作は決して生まれなかった。仮にポールがいくつかのオリジナルを作っても世の中に出ていくことがなかった。ましてやジョンと出会わなければ。
むろん後期のビートルズでジョージが才能を発揮するのも、リンゴでさえオクトパシス・ガーデンを作ることも(ニヤニヤ)なかったということなのです。
つまりは、ジョン・ポール・ジョージ・リンゴが偉大ということではなく、ビートルズが偉大であり、もっと云えばビートルズの楽曲が偉大だと云うこと。
ビートルズが好きでよかった
僕にとってのビートルズ。彼らの存在を知ったとき、たぶん中学校の1年。その頃、ビートルズは解散したばかりでした。そして僕にとってのビートルズは、それほど熱中することなく、それよりも、目の前のTレックスやデヴィッド・ボウイや吉田拓郎のほうが重要だった。要するに「ビートルズ=昔のバンド」ってイメージが強すぎたのですね。
そこから、45年経過して僕にとってのビートルズは永遠にリスペクトし続けられる音楽家です。いまでもPLANET CITYというバンドをやっていても、その影響は大きい。
そして、自分自身がビートルズが好きでよかったということ。さらに僕の周囲の人々でもビートルズ好きとは共鳴できる。例えば、僕のバンドのゴンゾも、すごいビートルズファンで「真実のビートルズ・サウンド完全版」という本を薦めてくれて、今でもとても影響されています。
さらに9月にロサンゼルス旅行に行った際のYukiさんも同様で、彼のスタジオで酒を飲んでギターを弾いて歌いました。もちろんビートルズの曲ばかり。そうした楽しい時間は、音楽好きなら誰もが持っている。さっとギターを手にして「何か歌おう」とビートルズの曲をインチキな英語で歌うのは楽しいですよね。
きっと「イエスタデイ」の主人公ジャックも、青春時代からなんどもなんどもビートルズの歌を歌ってきたに違いありません。