うつ病の最中、妻と田中くんに助けられる
以前、うつ病を患ったことを書きましたが(躁鬱病を患った-1、躁鬱病を患った-2)、その状態の時に大学時代のバンド仲間である友人、田中ハジメ君が気を使ってくれて、当時僕が住んでいた東麻布の家によく遊びにきてくれました。
最初は今のバンド(PLANET CITY)の榎本みょうがくんも一緒にきてくれて、みんなで鍋をして…その時の僕はうつ病を患っていることをカミングアウト。そして同時期に妻が、僕のうつ病脱却のために「まさゆきがやりたい仕事をしなよ」と言われ「俺、昔からバーを経営したいんだ」と告げ、二人で一緒にバーを経営する夢を語っていたものです。
その時、ハジメが「森川さんが店をするなら僕がデザインしますよ」と名乗りをあげてくれ(彼の本業はインテリアデザイナー)。さっそく不動産屋を回って候補の店を見学して、ハジメと一緒に麻布十番の七面坂のビルの二階を見学に行きました。
12月15日の見学時に、ハジメはメジャーで室内を計測し、その2週間後の12月29日に、その店の図面をデザインして持ってきてくれました。その図面がこれ。
バーだけど飲食できるブースを確保し、店内はロックを流し、ロックの映像も店内に大きなモニタで投影し、DJブースも作りたい…。という無理難題をすべて受けれてくれて書いてくれたハジメの力作。僕も妻も、この図面にノックアウトされて、本気でカフェバーを作ることを決意しました。
明けて2013年、本格的に店づくりに取り組む
年が明けて、僕たちはどんどん「自分たちの店」を作る作業に没頭します。ほぼ毎週のように横浜港北のIKEA家具に店で使うインテリアを見に行ったり。
ハジメも僕の病気のことを気遣ってか、エンゼルアワーや遊星都市で一緒に活動してきた一宮誠志くん、そしてプラネットシティで一緒だった文田くん(プラネットシティではみょうが君も一緒にバンドしてました)が、遊びにきてくれて、みんなで鍋を作ったり、餃子を包んだりしてました。
他にも中野ブロードウエイに行って、店内に飾るフィギアを物色したり、目黒の駄菓子バーに飲みに行って、駄菓子を用意しようと決めたりと、うつ病なのに、ほぼ毎日、店つくりのために出歩いていました。
そして4月12日。最終的に店を借りる契約をしました。もう一度測量したり、大工さんと打ち合わせをしたりと、いよいよ夢が実現に向けて動き出したのです。
今、このページを書いてみて本当にハジメと妻に感謝しています。ブログという形にしたことで、本当に彼らが体を投げ打って僕を助けてくれたのだと改めて感謝の気持ちでいっぱいです。