2019年

グラフィックデザイン

アートディレクターの頃

その仕事というのは大丸百貨店の通販部門の売上強化のために、新しいメンバーを集めて取り組むということで、プロジェクトとしては3つ。年に4回発行されるカタログ、毎月発行する新聞折込チラシ、請求書に同梱するチラシ。チラシと云っても、B1の巨大な印刷物であります。それぞれにデザイナーとコピーライターが配属されます。

インディーズ

LAST PUNK OSAKAのこと

このレコードはそこそこ売れたようなのですが、残念ながら流通を終えて売り上げを回収する頃には、僕の会社が倒産していて(というか夜逃げのような会社じまい)、売り上げを回収できず(それより借金まみれになった自分自身を立て直すので必死だったので)、参加してくれたメンバーにギャラの分配とかできなかったのが心残りです。

インディーズ

サウンド&ヴィジョン 2号

創刊2号で三冊目の発行にして、最終号です(泣)。もちろん本誌そのものは格段にグレードアップして84ページ、表1,2,3,4は全てカラー。巻頭にも8ページのカラーグラビアを入れました。もちろん1号と同様にソノシート付き。さらに部数も取次店を通したこともあり大幅に刷ったものです。もちろん、そうなるとコストの方もすごくなって、この一冊を作るために写植代と製版代と印刷代で200万円近くかかっていました

映画レビュー

キャデラック・レコード

当時のブルースが、ロックンロールの原点になっていることは間違いないだろうが、あまりにも当時のブルース話ばかりで、ちょっと退屈。途中でストーンズやエルビスが出てきたり、最後にレッド・ツェッペリンの名前が出てくるが、僕としては、こうしたロックへのつながりまでも描いて欲しかなったなあ…と思う。

インディーズ

サウンド&ヴィジョン 1号

この号から、表紙がカラーになり製本も中綴じではなく無線綴じ。ページ数も68ページに増えました。表紙はハナタラシ・ボアダムスの山塚アイさん。表紙に名を連ねているアーティスト(ミュージュシャン、美術作家、芸人、演劇家)は、伊集院明宏、インフェイク、桂さん福、コブラ、PSY・S、ザウンドシステム、思想犯罪、ツアラトゥストラ、中村雅之、VideGram、藤本由紀夫、豆村ひとみ、ヨデンマモル、リンゴ☆マンゴ。

日々の出来事

自分の葬式を考えてみる

「終活」という言葉がありますよね、人生の最後に向けて準備を整えること。自分が死んだら、財産のある人は相続をどうするか考えたり、どんな葬式を行うのかを考えること。僕もこの数年「終活」に興味を持っていて、それ専門のサイトを作って情報発信しようかと思っていたくらいです(僕にとって、このブログを再開させたのは、ある意味「終活」なんですけどね)。

インディーズ

サウンド&ヴィジョンのこと

「サウンド&ヴィジョン」というのは、その5年前、僕が大学時代に参加していたミニコミの名称です。大学時代のサウンド&ヴィジョンは、いわゆる「ロッキングオン」をお手本にしたミニコミで、当時日本中に同じような志で、ロック批評のような作文を書いたミニコミが溢れていましたが、誰もロッキングオンに様にはなれかなったと思います。

映画と読書

映画レビューを載せていきます

このブログでも僕の「映画レビュー」を掲載していこうと思います。というのも5年くらい前から趣味で、映画のレビューをEvernoteに書き溜めていて、最近までそれをすっかり忘れていたからです。

そこでせっかくブログを作ったことでもあるし、過去のレビューを交えつつ僕なりの独断と偏見のレビューを記録に残していこうと思います。その掲載カテゴリは「映画レビュー」としましたので、よろしくお願いします。

インディーズ

GGPBのこと

掲載されているアーティストがすごい。久保田さちお(ヴァージンVS)、遠藤賢司、鳥居あゆみ、植田哲二(榎本みょうが)、戸川純、戸田誠司、米米クラブ、高木一裕(東京ブラボー)、美尾洋乃、光永GUN(メトロファルス)、志村哲、ライオン・メリー、伊藤与太郎(メトロファルス)、藤本由紀夫…。すごいメンツですね。そこに僕も参加できたのが嬉しい。

グラフィックデザイン

デザイナーとして独立した頃

これまで南森町のデザイン事務所で教わったことしか知らない僕に、師匠は「森川くんの仕事は版下屋だよ。デザイナーはデザインをしなさい」と言われて、ディレクションを教えてもらいました。確かにこれまでの仕事は版下を作ることがゴールだったので、なんだか目から鱗の状態。その日から僕の仕事道具は、ペーパーセメントと写植と版下台紙ではなくなり、レイアウトペーパーとシャープペンシルだけになりました

グラフィックデザイン

グラフィックデザイナーの頃

キツかった…というよりも、給料が安すぎ。朝9時から仕事を開始して、終わるのは終電近くの11時くらい。1日14時間。そして給料は7万5千円。たしか当時は土曜日も仕事があったと思うので、1ヶ月で350時間なので時給換算すると214円。いくら当時の物価が今よりも安いとはいえ時給214円って、最低のアルバイト以下ですやん。

私の仕事

大学卒業して就いた仕事

僕が在籍していた「美術学科」は、それこそ「潰しの効かない」学科でして、大学を卒業してまともな会社に就職した人間は、ほとんどいなかった(笑)。本当に美術(僕の場合は彫刻)に打ち込んでいた人間は、卒業しても作品を作りたいから大学に残ったり、アルバイトで食いつないで作品作りを続けている同級生も多かったです。

バンド

ライブバンド・エンゼルアワー

おかげさまで…というか、全力投入したからか、オーディションライブは合格で、これからバハマのハコバンとして毎月出演することが決まりました。さらに嬉しいことに、僕らを気に入ったバハマのオーナー(姉さん)が、通常バンドよりもチャージバックが100円高い「土日バンド」に指定してくれたのです。嬉しかったなあ…。

バンド

エンゼルアワーを結成した

「バンドやろうぜ」と言われて「おう!やろうぜ」と言ったものの、僕自身、中学時代にはフォークギターを持っていて、そこそこにギターは弾けますが、手元に楽器が何もなかったのです。「じゃ、今から楽器買いにいくか」ということになり、なんだかわけもわからないまま、その足で楽器屋に行き、進められるままにYAMAHAのCS30というシンセを買ったのです。

私の仕事

いま、失業者なのです

今回、失業者になって改めて、色々な就活の講習会を受けてみて「仕事に就くのは難しいなあ」と感じています。まず60歳という年齢のハードルが大きい。例えばデザイナーという現場の仕事を考えてみると、年ばかりいっている爺さんなのに、まともなデザインができないポンコツだと悲しいですよね。そういう意味で、この先ハローワークで仕事を探すのは、ちょっと大変そうですけど、まだまだ働いて収入を得なくてはならないので、頑張ってみることにします

個人歴史

デッサンばかりしていた頃

デッサンというのは、小手先のテクニックではなく「モノを構造的に見る行為なのだ」ということを徹底的に教え込まれました。いま目の前で見えているものを、きちんと構造化する…ってのは、本当にトレーニングする以外のなにものでもなく、高屋先生も「ちゃんと見る目があれば、デッサンは誰でもできる」とおっしゃってくれていました。

個人歴史

1年間で100本の映画を観ていた頃

思い出すと、本当に当時の名画座ってよかった。数ヶ月前に封切館でかかっていた映画を安価で観れるだけじゃなくて、なんというか名画座のオーナーの趣味のようなものが反映されていた。例えば「ダーティーハリー2」が名画座でかかる際に、併映が「ダーティーハリー」と、「サンダーボルト」というクリントイーストウッド縛りだったりとか。

レコード

はじめて買ったLPレコード

中学2年の秋、やっとの思い出買ったのがT-レックスの「スライダー」。これが僕が購入した初めての洋楽アルバム。どうですか、このアルバムジャケット。これぞグラムロックという感じですよね。T.レックスと言えば、ちょっとハードなロックンロールのイメージがあるので、アルバムもギンギンのロックンロールと思いきや、実はそうでもない。

マンガ

マンガばかり描いていた子供

同じクラスになってからは、毎日ずっと遊んでいた。部活が終わると一緒に帰り、日曜日は一緒に秘密基地を作った。そしてある日、谷くんは自分のノートに描いているマンガを見せてくれた。そこにはサイボーグ002と004が仮面ライダーと戦っており、そこにスパーダーマンも参戦して、さらに自分で考えたヒーロー「ミーティアマン」が登場する。