ブログ開設して気が付いた3つのこと-2
どの記事にも「初めて出会うひと」が存在するわけで、その人のために最適な情報を記述しておかなくてはならない…ということなのです。「書き終わったらそれで終わり」あるいは「ウェブで公開したらそれで終わり」という意識がすごく大きくて、過去の記事を見直したり、最適化することをしたことがなかったのです。
どの記事にも「初めて出会うひと」が存在するわけで、その人のために最適な情報を記述しておかなくてはならない…ということなのです。「書き終わったらそれで終わり」あるいは「ウェブで公開したらそれで終わり」という意識がすごく大きくて、過去の記事を見直したり、最適化することをしたことがなかったのです。
ブログをスタートさせよう…と思った時、おそらく誰もが「自分の書きたいこと、伝えたいこと」を書くと思うのですが、ここに「誰がか知りたがっていること」という視点まで広げてあげることが重要ではないかと思ったのです。そしてそれは、ほんのちょっとでも「誰かの役に立てればよい」と考えました。
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僕がうつ病のとき、出会った漫画がありました。noteというサービスで連載されていた田中圭一さんの「うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち」という漫画。これは出口のない僕に、鬱病を克服した(というか共に歩んでいる)田中さんの実体験で、出てくるエピソードに全て「うんうん」と頷き、勇気をもらいました。
台風19号が東京に接近中。今日の夕方(17時)の段階では、風もほとんどなく雨も降ってません。「ほんまに台風くるんかいな」と、晩御飯の買い出しにスーパーに行ってみました。夕方17時では、風もありません。いつものスーパーに着くと、あまりの売り切れにびっくり。まず野菜のコーナーには何もありません。
僕の母親の実家は三重県の桑名市で、伊勢湾台風の時はすごかったと聞いています。桑名の春日神社の前には、鉄の鳥居があって高さ3メートルくらいの部分が大きく凹んでいます。それは伊勢湾台風で船が市内に長されてきて、その衝撃で鉄の鳥居が凹んだとのこと。子供心にすごく記憶に残っています。
僕の名前「森川眞行」でGoogleで検索すると、上位表示に「Wikiペディア」が出てきます。ちなみに、このページの項目は僕が入力したものではありません。確か2004年頃(アックゼロヨンをスタートした頃)に、なにげに調べ物をしていたら、自分がWikiに掲載されていることを知って驚きました。
いまの妻と入籍して2年、僕には家族がいなかったのですが妻の娘が僕の籍に入りました。そして一昨年の末に娘が出産し、僕には孫ができました。この孫がチョーゼツ可愛いのです。まだ一歳10ヶ月なので、ちゃんと言葉は話せないのですが、最近覚えたのが「救急車」と「ピーポーピーポー」と「バス!」なのであります。
今年も毎年恒例の初台商店街の阿波踊りが9月22日・23日と開催されました。妻が初台に住んで5年、僕が一緒に住むようになって3年。今回で3回目の阿波踊り見物です。
今日は僕の誕生日。昨年の誕生日は還暦祝いで盛大にパーティを行いましたが、ことしはシンプルに妻と娘と孫が、ケーキで祝ってくれました。よくわからないままに、一緒に歌を歌って、ロウソクの火を吹き消す(吹き消せなかったけどw)、もうすぐ2歳の孫が猛烈に可愛いです。
昔のように、現地を歩き回ったり、忙しいスケジュールで旅をするのは年齢的にキツくなってきたね…なんて話していて、何より飛行機が疲れる。残りの人生で何度海外旅行ができるか分かりませんけど、やっぱり旅行は楽しいので、お金貯めて色々と行ってみたいと考えています。
スーパーで買い物をしてYukiさんのオフィスに到着。もう40年もロサンジェルスに住まれていて、色々な仕事をされている彼なのですが、趣味は音楽制作。もうね、趣味と呼べないほどのクオリティ。その彼がオフィスを改造してスタジオを作ったそうで、確か2年くらい前に完成したので、それを見せてもらいに。スタジオはドラムやアンプのあるブースと、録音した音源をミックスダウンするスペースに別れています。
途中でイーグルズの「ホテルカリフォニルニア」のアルバムジャケットの写真場所を横切り、ロスアンジェルスの高級住宅街、ビバリーヒルズへ。それはそれはすごかったです。これまで走っていた住宅街と違って、電信柱が存在せず、素晴らしい景観。まるで芦屋の六麓荘のようです。
もちろんファッションの発信地なので、買い物も楽しんじゃいます。今回は古着を中心にショップを回ったのですが、いい感じの洋服が安価で提供されていて、いい感じです。日本でいえば高円寺や下北沢をスケールアップしたような感じですね。
スタジアムはエンゼルスの応援一色。映像を見てもらってもわかるように全てが赤色で埋め尽くされていますよね。残念ながら大谷の欠場、そして主力選手であるトラウトも故障で離脱したためか、試合はボコボコに打たれて負けました。8対3だったかな。
この日は、このあとナッツベリーファームで遊んでから、夕方には仕事を終えたMyuuさんの旦那さんYukiさんと合流するので、ナッツベリーファームまでは、またしてもUberで行くことにしました。今回で8回目のUber利用になります。ガーデナからナッツベリーファームまでは、けっこう距離があるのですが、30ドルちょっとで行くことができました。運転も上手だったし、いいですねUber。
計画通りにdoTERRAのグローバルコンベンションに出発することになりました。9月9日、15時45分のフライトです。実はこの日、失業者の私はハローワークに失業保険の認定日が重なり、朝の9時に渋谷のハローワークに行ってました。そして9月9日といえば、東京を襲った台風が大きな爪痕を残した日です。この台風が最悪の出国事件を巻き起こします。
以前に、サンセルモ玉泉院という葬儀会館に行って、自分の葬式のレクチャを受けたことを書きましたが、今回は、その玉泉院が行っている「海洋葬」の体験をしてきました。海洋葬というのは、告別式のあとの火葬で遺骨を海に散骨するという埋葬方法です。
「うだつ」とは家の軒先にある屋根と屋根の間に作る、もうひとつの屋根のようなもので、元来は暴風。防火を目的にしていたらしいのですが、徐々に装飾的な意味合いが強くなり、裕福な家屋は「うだつ」をあげて家の繁栄を誇示していたそうです。それにくらべ、うだつをあげられない家を「うだつのあがらない」と呼び。いまでもぱっとしない人や家に対して、蔑むような言葉で生きていますね。
僕がこのブログを開始した理由は、ここにも書きましたけど、60歳(還暦)になり、残り人生のほうが短いことが明確な事実。おじいさんな僕だけど、残りの人生も背中を丸めてブツブツ言いながら過ごすんじゃなくて「がつがつ生きていきたい」と思っているのです。Last for Lifeじゃなくて Lust for Life。
「終活」という言葉がありますよね、人生の最後に向けて準備を整えること。自分が死んだら、財産のある人は相続をどうするか考えたり、どんな葬式を行うのかを考えること。僕もこの数年「終活」に興味を持っていて、それ専門のサイトを作って情報発信しようかと思っていたくらいです(僕にとって、このブログを再開させたのは、ある意味「終活」なんですけどね)。
横浜市港南区、上大岡から笹下中学校まで、とにかくよく歩きました。60歳なのに(笑)。でもひとりでずっと回っていなので、知りたかったことはあまりよくわからず。それでも確実に45年前に僕がいた場所の空気を感じることができて満足です。
今日は、妻の父親(義父)の誕生日。なんと88歳だそうです。いまだに健在で(義母も)お元気なのは、嬉しい限り。妻は3人姉妹で、それぞれに結婚し子供がいて合計すると7人の孫がいることになります。さらにうちの娘が昨年息子を出産したので、曽孫がひとり。それぞれの夫婦を合計すると16人のファミリー。すごいですね。
日々思いついたことを好き勝手に書くという「垂れ流しブログ」では、きっとネタ切れになったり、途中で飽きてしまうだろうと思い、まずは掲載する記事をざっくりカテゴリに分類してみました。このやり方は仕事で中小企業さんのブログを構築していくときも同じ。いわゆる情報分類設計ってやつです(笑)。
趣味は、音楽を作ったり、音楽を聴いたり、映画を楽しんだり、旅行したり、料理を作ったり…と色々ありますが、これも話すと長いので別に書きます。
というか、自分を語るにあたって、話したいこと(書きたいこと)が沢山あります。ですので、今回こうして久しぶりにブログサイトをスタートした次第なのです。