映画レビュー

スーパー!

主役のレイン・ウィルソンは、この間観た「メタルヘッド」で妻を亡くして意気消沈している父親だったが、今回は、さらにしょぼくてキモくて、情けない役。このおっさんは、こういうパチモンのヒーロー役を演じると最高だ。ちなみに相棒のエレン・ペイジも、先日見た「ローラーガールズ・ダイアリー」に出演していて、今回も元気一杯の女子の役所。

旅行

徳島県「のどけや」と「三芳菊」

「うだつ」とは家の軒先にある屋根と屋根の間に作る、もうひとつの屋根のようなもので、元来は暴風。防火を目的にしていたらしいのですが、徐々に装飾的な意味合いが強くなり、裕福な家屋は「うだつ」をあげて家の繁栄を誇示していたそうです。それにくらべ、うだつをあげられない家を「うだつのあがらない」と呼び。いまでもぱっとしない人や家に対して、蔑むような言葉で生きていますね。

小説

日本ファンタジーノベル大賞

今年の寒い頃からずっと「小説」を書いていました。もともとは「小説を書く」なんて気持ちは毛頭なく、5年くらい前に書いた妄想を読み返してみると、それなりに面白かったので、それをある人に見せた。すると「面白いのでちゃんと仕上げてみては…」とアドバイスを貰ったので、調子に乗っただけのことなのである。

DTP

DTPまっしぐらの頃

そして現場では、パソコンの中でデザインは完成していても、出力できないという致命的なエラーが常時起こります。これは、DTPを実践するには、PostScript(ポストスクリプト)というページ記述言語を使わねばならず、データの作り方を間違えると、「ポストスクリプトエラー」という恐怖のアラートが出て、その瞬間デザイナーは死にます(笑)。

DTP

第1回Macworld Expo/Tokyo

1991年の2月。日本で初めてMacworld Expoが幕張メッセで開催されます。今のAppleのMacユーザーの方はほとんどご存知ないと思うのですが「エキスポ」と名前が付いているだけあって、巨大な展示会です。当時僕たちのデザイン業界では、ほとんどMacは認知されておらず1991年のMacの販売台数は、まだ月間1000台程度。まだウインドウズが台頭する前の時代で、パソコンといえばMS-DOSというのが定番だった時代。ウインドウズ3.0もリリースされた年でしたが、誰も見向きもしなかった時代。それほどパーソナルコンピュータは一般的ではなかったのです。

DTP

はじめてのMacintosh

当時Macintoshを購入するには、直営のApple Storeがない時代で、かつ家電製品として電気屋で購入できる時代ではなく、アップルコンピュータ(当時はこれが会社名でした)と契約した、オーストライズディーラーやリセイラーから購入する時代だったのです。うちの会社は土井グラフィックセンターが運営していたアップルセンター梅田で購入。最初のマシンは「Macintosh II fx」というマシンで、本体だけで98万円していました。

バンド

バンド歴史:その後

ほぼ30年ぶりに会う昔のバンド仲間に、元気をもらったものです。ハジメありがとう。さらに僕とハジメと文田君で「とりあえずバンドやりましょうよ」というハジメの提案で、3人で何回かスタジオで練習したこともあります(このバンドはその後、僕がロックバーをスタートさせたことや、ハジメが香港に移転して仕事を開始したことで、自然消滅してしまったのですが)

DTP

Macintoshに出会った頃

そこからMacintoshの雑誌や専門書を買いあさり、調査から半年後に会社にプロジェクトチームを作るための提案書を書きました。これからどんどんコンピュータがデザインの世界に入ってくる。そのための実験と検証とスキルを蓄積したいというのが骨子。結果、社長の了承を経て僕の机の上に、とうとう念願のMacintoshがやってきたのです

グラフィックデザイン

アートディレクターの頃

その仕事というのは大丸百貨店の通販部門の売上強化のために、新しいメンバーを集めて取り組むということで、プロジェクトとしては3つ。年に4回発行されるカタログ、毎月発行する新聞折込チラシ、請求書に同梱するチラシ。チラシと云っても、B1の巨大な印刷物であります。それぞれにデザイナーとコピーライターが配属されます。

インディーズ

LAST PUNK OSAKAのこと

このレコードはそこそこ売れたようなのですが、残念ながら流通を終えて売り上げを回収する頃には、僕の会社が倒産していて(というか夜逃げのような会社じまい)、売り上げを回収できず(それより借金まみれになった自分自身を立て直すので必死だったので)、参加してくれたメンバーにギャラの分配とかできなかったのが心残りです。

インディーズ

サウンド&ヴィジョン 2号

創刊2号で三冊目の発行にして、最終号です(泣)。もちろん本誌そのものは格段にグレードアップして84ページ、表1,2,3,4は全てカラー。巻頭にも8ページのカラーグラビアを入れました。もちろん1号と同様にソノシート付き。さらに部数も取次店を通したこともあり大幅に刷ったものです。もちろん、そうなるとコストの方もすごくなって、この一冊を作るために写植代と製版代と印刷代で200万円近くかかっていました

映画レビュー

キャデラック・レコード

当時のブルースが、ロックンロールの原点になっていることは間違いないだろうが、あまりにも当時のブルース話ばかりで、ちょっと退屈。途中でストーンズやエルビスが出てきたり、最後にレッド・ツェッペリンの名前が出てくるが、僕としては、こうしたロックへのつながりまでも描いて欲しかなったなあ…と思う。

インディーズ

サウンド&ヴィジョン 1号

この号から、表紙がカラーになり製本も中綴じではなく無線綴じ。ページ数も68ページに増えました。表紙はハナタラシ・ボアダムスの山塚アイさん。表紙に名を連ねているアーティスト(ミュージュシャン、美術作家、芸人、演劇家)は、伊集院明宏、インフェイク、桂さん福、コブラ、PSY・S、ザウンドシステム、思想犯罪、ツアラトゥストラ、中村雅之、VideGram、藤本由紀夫、豆村ひとみ、ヨデンマモル、リンゴ☆マンゴ。

日々の出来事

自分の葬式を考えてみる

「終活」という言葉がありますよね、人生の最後に向けて準備を整えること。自分が死んだら、財産のある人は相続をどうするか考えたり、どんな葬式を行うのかを考えること。僕もこの数年「終活」に興味を持っていて、それ専門のサイトを作って情報発信しようかと思っていたくらいです(僕にとって、このブログを再開させたのは、ある意味「終活」なんですけどね)。

インディーズ

サウンド&ヴィジョンのこと

「サウンド&ヴィジョン」というのは、その5年前、僕が大学時代に参加していたミニコミの名称です。大学時代のサウンド&ヴィジョンは、いわゆる「ロッキングオン」をお手本にしたミニコミで、当時日本中に同じような志で、ロック批評のような作文を書いたミニコミが溢れていましたが、誰もロッキングオンに様にはなれかなったと思います。

映画と読書

映画レビューを載せていきます

このブログでも僕の「映画レビュー」を掲載していこうと思います。というのも5年くらい前から趣味で、映画のレビューをEvernoteに書き溜めていて、最近までそれをすっかり忘れていたからです。

そこでせっかくブログを作ったことでもあるし、過去のレビューを交えつつ僕なりの独断と偏見のレビューを記録に残していこうと思います。その掲載カテゴリは「映画レビュー」としましたので、よろしくお願いします。

インディーズ

GGPBのこと

掲載されているアーティストがすごい。久保田さちお(ヴァージンVS)、遠藤賢司、鳥居あゆみ、植田哲二(榎本みょうが)、戸川純、戸田誠司、米米クラブ、高木一裕(東京ブラボー)、美尾洋乃、光永GUN(メトロファルス)、志村哲、ライオン・メリー、伊藤与太郎(メトロファルス)、藤本由紀夫…。すごいメンツですね。そこに僕も参加できたのが嬉しい。

グラフィックデザイン

デザイナーとして独立した頃

これまで南森町のデザイン事務所で教わったことしか知らない僕に、師匠は「森川くんの仕事は版下屋だよ。デザイナーはデザインをしなさい」と言われて、ディレクションを教えてもらいました。確かにこれまでの仕事は版下を作ることがゴールだったので、なんだか目から鱗の状態。その日から僕の仕事道具は、ペーパーセメントと写植と版下台紙ではなくなり、レイアウトペーパーとシャープペンシルだけになりました

グラフィックデザイン

グラフィックデザイナーの頃

キツかった…というよりも、給料が安すぎ。朝9時から仕事を開始して、終わるのは終電近くの11時くらい。1日14時間。そして給料は7万5千円。たしか当時は土曜日も仕事があったと思うので、1ヶ月で350時間なので時給換算すると214円。いくら当時の物価が今よりも安いとはいえ時給214円って、最低のアルバイト以下ですやん。